こんにちは、いちきんぐです。
いよいよ明日はAqours4thライブ当日!やったぜ!
でもこんなギリギリに記事を上げたくはなかった……誰も読まへんやん……。
あと3日早くブログを始めればよかったと、レポート締め切り日前夜のようなことを思っております。
さて、前回の記事で、「Thank you, FRIENDS!!」は〈始まり〉の曲なんだという話をしました。
今回の記事はその続きになります。
※前回の記事を読んでなくても今回の記事の内容はだいたいわかると思います。
実は前回の記事の最初の方で提起しながらも投げっぱなしにしてしまった話題があります。
それとともに、Aqoursのライブが今このタイミングで東京ドーム——μ'sにとっては終着点だったあの場所——で行われることの意味もよくわかりませんでした。
大好きなAqoursがそのような最高の舞台に立つことは誇らしい。でも、東京ドームという舞台は、やはり——やがて訪れるであろう——最後の舞台としてこそふさわしいのでは?
そんな気持ちを心の片隅で抱きました。
Aqoursのライブが今このタイミングで東京ドームで行われることの意味はどこにあるのだろう?
Aqoursの4thライブが発表されたとき、私が抱いたこのような疑問。
今回はこの疑問とバトルしていきます。
前回の記事では、「Thank you, FRIENDS!!」で表現されている気持ちの中心をなすのが、“FRIENDS” と一緒にいる〈今〉への幸福感だと述べました。
これはもっと詳しく規定するなら、
〈これから〉の航海へと一緒に漕ぎ出す頼もしい仲間としての “FRIENDS”と一緒にいる
〈始まり〉としての〈今〉への幸福感
です。
このような気持ちを表現した曲だという意味で、「Thank you, FRIENDS!!」は〈始まり〉の曲です。
まずはこの話を4thライブに結び付けましょう。
そうすることで言えるのは、このような「Thank you, FRIENDS!!」という曲をテーマソングとして掲げたAqours4thライブもまた、〈始まり〉のライブなのだということです。
すなわち、“WONDERFUL STORIES”という名で総括される〈これまで〉の航海を経たAqoursが、“FRIENDS” とともに新たな航海へと漕ぎ出す〈始まり〉としての〈今〉、それこそが4thライブに他なりません。
諏訪さんは4thライブとそこから続くであろうAqoursの活動を、まさしく「新しい旅」と表現しています。
1st LIVEで横浜アリーナに初めて立った時もその大きさに驚いたけど、東京ドームはどう感じるのかな。その先にどんな景色が待っているのかな?4th LIVEのあともAqoursの活動は続いていきますし、今感じるのは、やっとたどり着いたというホッとした気持ちより、新しい旅に出発するような期待感ですね。まるでメルパルク前夜のような、心地よいドキドキがあります。
(電撃G's magazine2018年11月号増刊, p44)
このように4thライブを新たな〈始まり〉として考えると、そのライブが行われるのが東京ドームだということにも、意味が少しずつ見えてくるのではないかと思います。
μ’sにとっては終着点だった東京ドーム。その場所はAqoursにとっては全く違う意味を持っています。
Aqoursにとって東京ドームは〈始まり〉の場所でした。
アニメの中で、千歌たちにとっての〈これまで〉の航海が始まったのは、千歌がμ'sの映像を見たUTXでした。であるならば、現実世界の中で、伊波さんたちにとっての〈これまで〉の航海が始まったのは、彼女らがμ’sのファイナルライブを見た東京ドームです。
もちろん、Aqoursの活動の実際の始まりは、上の引用内で諏訪さんも言及しているように、2016年1月のメルパルクホールに求めたほうが適切でしょう。
ですが、μ’sファイナルライブのあの時Aqoursは、μ’sの最高の輝きを目に焼き付けるとともに、μ’sからバトンを受け取りました。
だから、“0”だった彼女らがラブライブの看板を背負って駆け抜けてきた “WONDERFUL STORIES” の〈始まり〉は、東京ドームという場所に象徴されるのです。
小林さんは次のように語ります。
μ’sさんのファイナルライブを観た東京ドームは、私たちの夢が始まった大事な場所でもあります。あの輝きを観て、Aqoursにも大きな目標ができた……。
(電撃G's magazine2018年11月号増刊, p50)
生まれたのはトキメキ。惹かれたのは輝き。
でも、その看板はどんなに重いものだったことでしょう。
私には想像することもできません。
小宮さんは、μ’sファイナルライブの時に抱いた複雑な想いを吐露してくれています。
私がμ’sのみなさんのライブを生で初めて観たのが、2016年の東京ドーム公演でした。私たちはすでにAqoursとして活動していて〔…中略…〕実際にステージでパフォーマンスをする難しさを実感してからμ’sさんのライブを観ると、自身の歌やダンスの実力不足はもちろん、キラキラした輝きの違いを突きつけられた気がしました。そして同時に、キャストとファンのみんなの心がつながり、1つになっている熱いライブに感動して、激しく憧れて、その反動で心が折れかけたほどでした。
(電撃G's magazine2018年11月号増刊, p46)
あれから2年半がたった〈今〉。
Aqoursは〈始まり〉の場所に戻ってきます。
今度は舞台に立つ側として。
そうして東京ドームは、“WONDERFUL STORIES”を経たAqoursが次なる航海——次なるSailing to the Sunshine——へと漕ぎ出す場所という意味で、再び、Aqoursの〈始まり〉の場所となります。
あの時の〈始まり〉の場所で、再び〈始まり〉を繰り返すこと。
それは何をもたらすのでしょうか。
明日と明後日、東京ドームでAqoursの2つの〈始まり〉が重なります。
そこに必然的に入り込んでくるのは、あの頃との対比です。
伊波さんは次のように語ります。
私たちAqoursにとってもファンのみなさんにとっても、東京ドームは忘れられない最高の瞬間があった場所——。だからこそ私たちが立つことの意味や責任、不安を感じた日々がありました。でも、3rd LIVE TOURやフェスなど、Aqoursとしてライブをする楽しさや想いを積み上げていくうちに、少しづつその想いに変化が生まれました。メルパルクホールの時より私たちはひとつひとつ経験を積んで成長しているし、今のパフォーマンスをもっともっとブラッシュアップさせて挑めば、東京ドームはAqoursを思いっきり出せる場所になるんじゃないか、と。そしてこの機会は、メンバー9人で手を取り合って歩む中で出会った、応援してくださるみなさんが私たちにプレゼントしてくれた場所だと思うようになったんです。
(電撃G's magazine2018年11月号増刊, p40)
不安はもちろん感じた。でも、その不安な想いはやがて前向きな想いに変化したといいます。
それは、ひとつひとつ積んできた経験があるから。
一緒に手を取り合って歩んできたメンバーとの絆があるから。
そして、“10人目” のみんなと出会ったから。
あの頃は “0” だったかもしれない。
今はもう “0” ではない。
〈これまで〉の “WONDERFUL STORIES” の中で、Aqoursはたくさんのものを手に入れてきました。
それがどんなにたくさんのものなのか、そしてそれらがAqoursをあの頃からいかに大きくしたのか。
あの時の〈始まり〉と新たな〈始まり〉が重なる東京ドームという場所は、それを彼女らにも私たち “10人目” にも、はっきりと感じさせることになるのだと思います。
そして、東京ドームが与えるであろうその実感は、彼女らにとっても私たち “10人目” にとっても、ある種の自信につながるでしょう。
その自信はどのような自信なのでしょうか。
それは——「Thank you, FRIENDS!!」の話を再び持ってくるならば——〈これまで〉の航海をともにし〈これから〉の航海へと一緒に漕ぎ出そうとしている頼もしい “FRIENDS” がいるんだという自信だとは言えないでしょうか。
そんな自信に満ちた心から、また “FRIENDS” と航海に出たいという「トキメキ」が生まれてきます。
生まれてくるトキメキの数は
ああ数え切れない!
海風に
誘われて
ココロには
波が立って立って
どこへどこへ向かえばいいの?
みんなと探そうか!
(Thank you, FRIENDS!!)
この「トキメキ」、前回の記事でも言った通り、これはいわば新しい “ミライチケット” に他なりません。
どこへ向かう航海なのかはまだわかりません。
それでも再び始まるAqoursの航海。 “FRIENDS” 全員で漕ぎ出す航海。
そのための “ミライチケット”。
Aqoursの〈始まり〉の場所であった東京ドームは、次なる航海に臨むAqoursにこの “ミライチケット” を授けることになるのではないでしょうか。
だからこそ、Aqoursの次なる〈始まり〉としてのライブは今、Aqoursの〈始まり〉の場所としての東京ドームで行われるのです。
Aqoursのひとつの到達点としてのライブを、μ’sの終着点としての東京ドームで行う——。
私は最初、Aqoursの4thライブをこのようなものとして理解しました。
そこから、
東京ドームはいつかの未来に必ず来るAqoursの最後の舞台にこそふさわしいのではないか?
今このタイミングで東京ドームを使う意味は薄いのではないか?
こういった疑念を抱きました。
しかしラブライブ!において、東京ドームはμ’sにとっての意味――終着点——とAqoursにとっての意味――〈始まり〉の場所——という二つの意味を同時に持っています。
そして上のような疑念は、東京ドームの持つ、μ’sにとっての意味とAqoursにとっての意味とを混同して考えてしまったことから生じるものであったように思います。
(G's増刊号を読むまで、このような二つの意味を区別することができるということに私は気がつきませんでした)
Aqoursはμ’sの輝きに惹かれて生まれました。それは間違いありません。
でも、そうして生まれたAqoursの輝きは、決してμ’sの模造品ではない。
Aqoursは決してμ’sの輝きを借りて輝いているのではありません。
Aqoursの輝きはまぎれもない彼女ら自身の輝きです。彼女らの心からあふれ出した輝きです。
Aqoursはμ’sを追いかけるわけではない。
μ’sの輝きとAqoursの輝きは、比較することの不可能な別々の軌跡を描きます。
そのどちらもが、私たちの大好きなラブライブ!です。
AqoursはAqours自身の物語を全力で走ってきたし、これからも走っていくのです。
伊波さんは「Aqoursはすごいんだぞ!!」と3rdライブツアーのMCで何度も何度も何度も叫びました。伊波さんが誇る「すごさ」とは、μ’sなど関係ない、彼女ら自身の「すごさ」に他なりません。
同時に、Aqoursの「すごさ」によってμ’sの物語が色あせることもありません。μ’sの最高の舞台としての東京ドームの意味も、色あせることはありません。
Aqoursは、μ’sの物語との比較から解き放たれたAqours自身の物語として、Aqoursの〈始まり〉の場所から彼女らの次なる航海を再び始めようとしているのです。
“FRIENDS” と一緒に。
‟10人目”と一緒に。
そう考えれば、今このタイミングでAqoursのライブが行われる場所がμ’sファイナルライブの舞台と同じ場所であることに、何も違和感はありません。
“WONDERFUL STORIES” と名づけられた航海を経たAqoursが次なる航海への “ミライチケット” を手にするのに、最もふさわしい場所―― Aqoursの物語にとってはそれこそが東京ドームなのだと、私は思います。
さて、少し余談をはさみます。
私がこのように東京ドームを語るのはおこがましいのではないか。そんな不安が少しだけあります。
他の方たちが東京ドームに対して持っているであろうほどの強い想いを、私はおそらく共有できていないからです。
μ’sのファイナルライブの直前の時期、μ’sのそれまでのライブ映像の上映会が、毎週末映画館で行われていました。
友人に誘われてふと行ったその上映会。μ’s1stライブの上映会。私がμ’sのキャストさんたちの姿をちゃんと観たのはそれが最初でした。
ラブライブのアニメは好き。でもキャストさん達の名前も覚えていない。
ペンライトなんて振ったこともない。コールなんて知らない。
でも楽しかった。
それが終わったあと、近くのアニメイトでブレードを買いました。その上映会にもほぼ毎週通いました。
そこで観たのは全部ずっと過去の映像。でもまだリアルタイムでライブがある。最後なのかもしれないけど、まだμ’sのライブがある。
そう思い、まだHPで行われていたファイナルライブのチケットの抽選に応募してみました。あえなく落ちました。
結局、ファイナルライブは、2日目の翌日に行われたディレイビューイングを観に行きました。
そこで初めて見た今のμ’s。その姿は本当に眩しいものでした。(ディレイだから今じゃないやんみたいな話は置いておきます)
しかし、私がμ’sに触れた期間はあまりにも短かった。
何度も叫ばれる「今が最高!」という言葉。何度も。何度も。何度も。何度も。
一緒に叫びつつも、その言葉に込められた想いを、私は本当には共有できませんでした。
周りで叫んでいた人たちにとって、あの「最高」の〈今〉は、それまでμ’sと過ごしてきた長い時間の全てがそこに詰まった〈今〉だったのだろうと思います。
μ’sと出会い、μ’sを応援し、μ’sに背中を押されながら生きてきた日々。その思い出の全てが、あの〈今〉の中で見えていたのだろう。
今は少し想像ができます。
今の私にはAqoursがそういう存在になったから。
でもあの日、私が体験した今はそんな厚みのある〈今〉ではありませんでした。
間違いなく、私がμ’sに触れてきた時間は他の人たちに比べたら一瞬でしかない。だから私の体験する今は、そんな厚みを持ちようが無いのです。
もちろん楽しかったんです。
だけど、他の人たちの「今が最高!」という叫びに込められているのは、自分が想像することのできないような熱い想いでした。
その〈今〉を共有したかった。でも共有できなかった。
そのことに少し寂しさを覚えました。
私にとって、μ’sのファイナルライブはそういう体験です。
だから、他の方々の人生にとって東京ドームが持っているのであろう意味を、私は感じることができません。
あの〈今〉を共有できなかった私は、東京ドームをあの〈今〉があった場所として感じることができません。
頭ではわかります。でも感じることはできません。
だからこんな私がAqours4thライブの直前に、東京ドームを語る記事を書いているのはおこがましいのかもしれません。
でも、だからこそ、私はこの文章を書きたいと思いました。
〈感じる〉ことができないなら、今の自分の頭を精いっぱい使って〈理解する〉ことはしておきたいと思ったからです。
そしてその〈理解〉をここに閉じ込めておきたいと思ったからです。
改めて、私の〈理解〉をまとめましょう。
私は東京ドームがラブライブ!の中で持つ意味を、μ’sにとっての意味とAqoursにとっての意味へと分けて考えます。
μ’sにとっての終着点だった東京ドーム。
Aqoursにとっての〈始まり〉の場所だった東京ドーム。
この二つの意味は、もちろん深く結びついています。
なぜなら、伊波さんたちは、μ’sの “10人目” だからです。
彼女らはμ’sの “10人目” だったからこそ、Aqoursになりました。
だからμ’sが東京ドームに与えた意味があって初めて、Aqoursにとっての東京ドームの意味というものも存在することができます。
あるいはこうも言うことができます。
伊波さんたちの中で東京ドームは、〈μ’sの “10人目” としての伊波さんたちにとっての意味〉と、〈Aqoursとしての伊波さんたちにとっての意味〉という二つの意味を持っている、と。
しかし伊波さんたちは明日、μ’sの “10人目” として東京ドームに立つわけではありません。
彼女らはAqoursとしてそこに立つのです。
伊波さんたちは、Aqoursとして、Aqoursの〈始まり〉の場所に帰ってきて、そこでAqoursの新しい〈始まり〉のライブを行うのです。
それがAqours4thライブなのであり、Aqoursのライブが今東京ドームで行われる意味はそこにあると私は思っています。
以上が私の〈理解〉になります。
……でも最後にもう一言だけ。
自分語りです。
私自身にとっても東京ドームはもしかしたら、〈始まり〉の場所なのかもしれない。この記事を書きながら、そんな思いが頭をよぎりました。
もちろん東京ドームに足を踏み入れたことはありません。
あの日のあと、日常に常にラブライブ!があったわけでもありません。
でも、ラブライブ!のキャストさんに初めて触れたのはあの頃でした。
だから、今の私が生きるLove Live! daysのささやかな〈始まり〉はあの日の東京ドームに象徴されるのかもな、と思います。
そんな場所に、私は行ってきます。
東京ドームは、あの日の〈始まり〉と新しい〈始まり〉としての〈今〉を重ね、Aqoursがあの日からどんなに大きくなったのかを教えることになる。そんなことを述べてきました。
それとともに、東京ドームで重なるそんな二つの〈始まり〉は、あの時の私自身と今の私自身を重ねることにもなるのかもしれないなと思います。
私はAqoursのような大きな存在ではありません。
でも、あの時と比べてちょっとだけ変わりました。
最近のことです。
Aqoursとの〈出会い〉がありました。
その〈出会い〉が私をちょっとだけ変えたんです。
Aqours4thライブ。東京ドーム。
ちょっとだけ変わったそんな私自身を、大きく力強くなったAqoursを確かめるのと一緒に、ちょっとだけ感じられたらいいなって思っています。
Aqoursという “FRIENDS” と一緒に生きる私という人間の、ちっぽけな “ミライチケット” を手にすることのできる2日間になったらいいなって思っています。
だから〈今〉を全力で楽しみたい。
今の私は、Aqoursと出会い、Aqoursを応援し、Aqoursに背中を押されながら生きる日々を過ごしています。
できないことがたくさんあります。
しんどいことがたくさんあります。
どうしたらいいのかわからないことがたくさんあります。
だけど今の私は「今が最高!」と心の底から叫ぶことができます。Aqoursという頼もしい “FRIENDS” がいるからです。
そんな今の私が生きるLove Live! days。
その遠い遠い、ささやかな〈始まり〉の場所が東京ドームです。
そんな場所に、私は行ってきます。
東京ドーム。〈始まり〉の場所のお話でした。