- 1.はじめに
- 2.Wake Up, Girls! FINAL TOUR 仙台公演に参加した経緯
- 3.Wake Up, Girls!と東日本大震災
- 4.Wake Up, Girls! の「物語」が仙台に存在したということ
- 5.おわりに
1.はじめに
みなさん、こんにちわぐ。いちきんぐです。
昨日、埼玉スーパーアリーナにて、Wake Up, Girls! のFINAL LIVE~想い出のパレード~が開催されました。ラブライブ!サンシャイン‼の話をするために開設した当ブログですが、それに関連して今回はWake Up, Girls!の話をします。
※以下、Wake Up, Girls! をWUGと略記します。なお作品名としてのWUG、作中のグループ名としてのWUG、声優ユニットとしてのWUGというように、WUGという名前は3つの意味を持ちます。本記事では区別の必要性がない場合は単に「WUG」と書きますが、区別したい場合は例えば「作品としてのWUG」や「WUGという作品」、「声優ユニットWUG」や「WUGという声優ユニット」といった書き方をします。
とはいえ私は昨日のライブには参加できていません。しかし先日縁があり、WUG FINAL TOURの仙台公演1日目昼の部に参加させてもらいました。最初で最後の、WUGのライブ参加です。
そもそも1期の途中までしかアニメも見ておらず声優ユニットとしてのWUGのことも全然知らなかった私は、ファイナルツアー仙台公演参加に向けて改めてWUGという作品およびユニットに触れる中で、いろいろと想いを抱きました。
普段はラブライブ!サンシャイン‼のオタクをやっておりWake Up, Girls! に関して詳しいわけでは決してない私が記事を書くのはおこがましいかもしれませんが、WUGにとっての戻らない時が過ぎ去ろうとしている今、WUGに関する私なりの想いを発信しておきたいと考え、筆を執ります。
2.Wake Up, Girls! FINAL TOUR 仙台公演に参加した経緯
まずは、私がWUGのライブに参加したいきさつを書こうと思います。
そもそも私がWUGに興味を持った一番最初の理由は、私の出身地が仙台だからです。
2014年の正月、帰省して高校時代の親友と会ったときに、私は彼との会話の中でWUGのことを知りました。仙台を舞台としたアイドルアニメがはじまる。プロローグとして映画をやって、同時にテレビシリーズをやるらしい、と。
その約2週間後、成人式のために再び帰省した私は、その友人と一緒に、成人式の会場に向かう途中にある映画館で『劇場版Wake Up, Girls! 七人のアイドル』を観ました。そして、同時に放映が開始されていたテレビシリーズも見てみました。ただ、正直言うとその時はあまり自分には響きませんでした。むしろ描かれるエピソードの生々しさなどが見ていてきつく、途中で見るのをなんとなくやめてしまいました。このように、見てみたものの途中で関心が途切れてしまい、そのままになっていたわけです。
その後私はいろいろあってラブライブ!サンシャイン‼にドハマりします。ラブライバーとして過ごすさなか声優ユニットWUG解散の報に触れた私は、再びWUGのことが気になりはじめました。
ところでラブライブ!サンシャイン‼は沼津という地方の街を舞台にした物語です。多くのラブライバーと同様、私も沼津に聖地巡礼し、現実世界に虚構世界を重ね合わせ物語に思いを馳せる体験をしていました。ラブライブ!サンシャイン‼というひとつのアイドルアニメによって、沼津という場所は私や多くの人たちのかけがえのない場所になりました。
さて、WUGは私の地元仙台を聖地としたアイドルアニメです。このアイドルアニメが存在したということは、仙台にとって、また、そこで生まれ育った私にとって、何か意味があるのではないだろうか?ラブライブを通じてアニメが持つパワーを知った私は、その意味を確かめねばならないような気がしました。関心を途切れさせてしまったままで終わってはならないような気がしました。
そんな中、偶然にも、大学学部時代の先輩が私の知らないうちにワグナーになっていたことを私は知ります。さらになんと、その先輩はファイナルツアー仙台1日目昼公演のチケットを余らせていました。私は連番に入れてもらうことになりました。そうして、見えない力に引き寄せられるようにして、私は故郷であり聖地である仙台でライブに参加することになったのでした。
3.Wake Up, Girls!と東日本大震災
ライブの参加に向けて、私は改めてアニメを見、WUGのことを調べました。ワグナーの方が書かれた次のようなブログが参考になりました。
そうやって改めてWUGに触れる中で考えたことや感じたことを、ここからは、その聖地が仙台だということを軸に述べていきます。
東北地方太平洋側の都市である仙台は、2010年代の日本にとってひとつの明確な意味を持っています。それは、2011年の東日本大震災の被災地のひとつだという意味です。
WUGは、仙台を舞台にした2010年代の作品として、東日本大震災との関連を強く持っています。具体的にいくつか挙げるとするならば、まず、山本寛監督が仙台を舞台に選んだ大きな動機に震災の被災地だということがあるという点(山本寛監督 vs「Wake Up, Girls!」 特別インタビュー企画|Wake Up, Girls!)、第2に、作中のWUGのメンバーに震災で被災した重い背景を持ったキャラクターが含まれているという点、第3に、震災および復興を意識した曲がいくつか存在するという点などでしょうか。
2点目に関して言うと、震災で被災した背景を持つキャラクターは、片山実波(CV:田中美海)と菊間夏夜(CV:奥野香耶)です。(小説版を踏まえるともう一人いるそうですがよく知りません)
実波は、津波の被害に遭った石巻の仮設住宅に暮らし、仮設住宅の住人たちの結成した民謡クラブのアイドル的存在でした。民謡クラブのメンバーである「磯川のおばあちゃん」は実波のことを、被災して生きる気力を失っていた自分たちに元気をくれる「お日様」と評します。
磯川:言ったでしょ。実波ちゃんはお日様みたいだって。しおれて枯れそうになってた私たちを照らしてくれたんだって。これからも、私たちを照らすお日様でいてくれなきゃ、ね。
(テレビシリーズ1期3話)
夏夜は、気仙沼で津波を経験して幼馴染の男性を亡くし、気仙沼にいることが堪えられなくなって仙台にやってきました。仙台でバイトをしながら呆然と過ごしていたところにWUGのオーディションの情報を目にしふと受けてみた彼女は、WUGの活動をする中で生きる気力を取り戻していきます。
夏夜:私、3年前のあのとき、なんかいろいろ大切なものたくさんなくしちゃって、で、ここで暮らすのがほんと辛くなっちゃって、仙台に逃げ出しちゃったんだ。
(テレビシリーズ1期9話)
夏夜:頑張りたくても頑張れない人のために、何かを頑張る。今はそう思ってる。
(同上)
3点目の、震災および復興を意識した曲に関しては、イオンの東北応援キャンペーン「にぎわい東北」とのタイアップソングとして作られた「TUNAGO」という曲が代表的です。この曲のMVは、津波で大きな被害を受けた石巻や仙台空港がロケ地になっています。
以下の記事でロケ地が具体的に紹介されています。
また、この記事の冒頭で触れられているように、1期エンディングテーマ「言の葉 青葉」の歌詞も震災を意識していそうです。この曲の曲名は仙台市の中心部である青葉区にちなんでおり、聴いていると仙台の街並みが猛烈に想起させられます。
うつくしい街と
無邪気には言えない
そこにあるかなしみを知ったから
そして、声優さんたちが自身で作詞を行った曲「Polaris」の一番も震災を意識していることが、声優さんたちへのインタビューの中で語られています。
街明かり消えた夜
誰を頼ればいいの?
不安とかイライラが闇を作り出す
君と見た景色さえ
黒く塗りつぶされて
楽しいも嬉しいも波がのみこむの(「Polaris」、詞:Wake Up, Girls!・曲:田中秀和)
永野:私が『Polaris』の歌詞に入れたかったのは、仙台や東北のことを『WUG』は絶対に忘れていないということなんです。この想いは歌詞の中に入れたいなって。歌詞の内容的に(震災を)体験している私だから入れられる言葉があるなって。
このように、WUGという作品および声優ユニットは、単に仙台という場所を形式上舞台にするだけでなく、2011年以来仙台が背負ってしまった固有の物語すなわち「震災と復興」という物語と深く結びついています。
4.Wake Up, Girls! の「物語」が仙台に存在したということ
WUGという作品は、厳しい「現実」に抗う少女たちを描くという点でラブライブ!サンシャイン!!と共通していますが、ラブライブ!がその「現実」をミュージカル的にデフォルメして描くのに対して、その「現実」をドキュメンタリー的に生々しく描く点に特徴があります。作中で強烈に前面に押し出されている資本主義的な「大人の論理」と並んで、「震災」はその生々しい「現実」のひとつです。津波に関する体験を正面からキャラに語らせるのは挑戦的な試みだったと思いますが、描写が躊躇われるほどのそのような「現実」から「タチアガ」ろうとする人間の物語を示してくれたというところに、WUGという作品の大きな存在意義があるように私は思います。
夢を見るなんて
きっとできないと
小さな自分を 守り続けた
ひどく傷ついて 残酷な海に
ただ怯えすぐ背を向けた
でもね 私は私
どんなごまかしも効かない
諦めず行くかないと決めたの(「タチアガレ!」、詞:辛矢凡・曲:神前暁)
ところで、WUGの所属する芸能事務所グリーンリーヴスの社長丹下は、「アイドルとは物語だ」と言います。
丹下:松田、アイドルって何だと思う?
松田:え、さあ?
丹下:物語よ。
松田:物語?
丹下:物語とは可能性のこと。あの子たち可能性はビンビンにもってるわ。(『劇場版Wake Up, Girls! 七人のアイドル』)
厳しい「現実」の中で立ち上がり方を見失っている人間に、「現実」をはねのけていく「物語」を見せるということ。そうして、あなたも立ち上がれるかもしれないという「可能性」を繰り返し繰り返し示すということ。アイドルとはそういう役割を持った存在である。
そんないわばアイドル哲学がWUGという作品には明確に織り込まれています。誰かの生き方の可能性を照らすという意味で、アイドルは「お日様」なのです。作中のWUGの活動は、震災の「現実」の底にいた実波の「おばあちゃん」達に対して、また夏夜自身に対して、そんな「可能性」を示しました。そしてそれはこのアニメを見ている誰かに対しても、同じような仕方で働きかけたのではないかと思います。
現実の声優ユニットWUGもまた、そういう存在であったのだと思います。先に紹介したブログ記事(3月解散のWake Up,Girls!を今こそ楽しむ方法集。コラムもあるよ! | トキノドロップ)には、声優ユニットWUGがアニメの商業的不振という「現実」の中でどう彼女ら自身の物語を紡いできたのかが、執筆者の方の目を通して語られています。特に「コラム:私のWUGへの想いや歴史」と題された記事後半が、めちゃくちゃ素晴らしい文章です。
いまのWUGというコンテンツの最前線は三次元WUGの中にある。
その物語の中にアニメWUGは最終的に内包されていく、アニメWUGを追い越して一人で歩き始めた存在が三次元WUGと私は考えていて。(3月解散のWake Up,Girls!を今こそ楽しむ方法集。コラムもあるよ! | トキノドロップ)
かつてWUGは「親」の遺産を持ってこの世へ飛び出した。
遺産の中身は「親」への悪評から訪れるたくさんの困難、そして背負っていくWUGアニメという物語と東北を盛り上げるという役割だ。
ほとんどマイナスと言っていい所からのスタートだった。
監督がどうとか、アニメの作画だとか。
予定調和の成功なんて約束されてなかった。(3月解散のWake Up,Girls!を今こそ楽しむ方法集。コラムもあるよ! | トキノドロップ)
WUGはWUGという等身大の存在として自分たちの物語を歩き出した。
もう、彼女たちはWUGという存在を演じてなんかいなかった。
何かのレプリカでも偽物でもない。ましてや誰かに着せられた物語でもない。
彼女たち7人がWUGを体現する存在になった。
WUGはWUGという本物に成っていった。
ここに引用した文からわかる通り、声優ユニットWUGの物語は、例えば私が追いかけている声優ユニットAqoursの物語とは全く異なります。どちらもがそれぞれの「現実」に立ち向かった固有の物語を持っています。
声優ユニットAqoursは、巨大化したラブライブ!というコンテンツの中に投げ込まれ、何も持たない自分たちをコンテンツの大きさに追いつかせなければなりませんでした。そしてAqoursは、ラブライブ!のユニットとして2次元と3次元の二重性を自覚的に引き受け「Aqours」を演じ続けます。
それに対して声優ユニットWUGは、その二重性の外に出ました。あるいは、出ざるをえませんでした。彼女らは、アニメの不振や展開の停止という「現実」の中で、ある時から2次元のWUGの似像であることをやめ、等身大の彼女ら自身がWUGそのものであるという道を歩みだしました。私の参加したFINAL TOUR仙台公演において、アニメの映像は一度もスクリーンに映し出されませんでした。この事実が、声優ユニットWUGの固有の物語を端的に示しています。
彼女らのライブを見た印象は、歌もダンスもくそ上手くね?というものです。加えて、7人とも非常にのびのびとパフォーマンスをしているということを感じました。彼女らはステージ上で徹頭徹尾自分自身なのであり、ワグナーはそんな彼女ら自身としての彼女らを応援している。ラブライブ!の現場とはまた違った、ひとつの幸福な空間がそこにはありました。
ただし、これはアニメのWUGを否定しているということとも違うのだと思います。ステージ上で声優ユニットWUGの7人が彼女ら自身を貫くということ。それこそが、アニメのWUGを体現するためのWUGなりの方法ともなっているのだと思います。そんな自分たち固有の物語を歩んできた彼女らの姿は気高く、眩しいものでした。
仙台の話に戻すなら、こんなWUGという声優ユニットが仙台を聖地として活動してきたこと、「TUNAGO」に代表されるように震災からの復興を応援してきたということ、このことは、仙台および東北にとっての大きな意味があると私は感じました。先に述べたように、WUGのアイドル哲学からすればアイドルとは「物語」であり、誰かの生き方の「可能性」を照らし出す「お日様」です。「現実」に抗う中で自分たち自身であることを選んだ声優ユニットWUG。そうすることを通じて彼女らが辿り着いた、パフォーマンスのレベルの高さ、眩しさ、気高さ。それはきっと、震災の「現実」の底で立ち上がり方を見失っていた誰かの目に留まり、その人に「がんばっぺ!」という勇気を与えたはずです。声優ユニットWUGは、仙台や東北の誰かにとって、紛れもなく、作中で語られるような意味での「アイドル」だったのではないでしょうか。
したがって、WUGは、二重の仕方で私の故郷仙台に、「タチアガ」るための物語をもたらしました。すなわち、一方では、実波や夏夜たち作中のWUGの物語として、他方では、声優ユニットWUGの物語として。もちろんその物語は仙台の誰もに共有されているわけでは決してありません。でも、この物語が誰かの目に留まりうる形で仙台に存在したということ、そしてまたこれからも誰かの目に留まるかもしれないということ、このことが重要なのだと思います。
2011年3月11日の震災から8年が経とうとしています。
あの日高校生だった私は学校で地震に遭いました。学校も家も海からは遠かったため津波被害には遭いませんでしたが、家のガスと水道が止まった状態で1ヵ月近く過ごし、かなり大変でした。
震災後学校が再開されたときに、担任の先生がこんなことを言っていました。「君たちは今は復興に関して考える必要はありません。君たちが今するべきは勉強です。今勉強を頑張れば、10年後20年後にもっと大きなスケールで復興に貢献できるようになりますから。それが君たちのやるべきことです。」
その後私は仙台を離れて京都で一人暮らしをし、のらりくらりと大学生活を過ごしてきました。今は大学院生をやっており、復興に貢献できるような何者かではいまだありません。震災のことについて常に考えているわけでもありません。ですが先生のこの言葉がどこか心の底で私を方向づけています。
仙台に生まれ震災を経験した人間として私は、震災からの復興に対して何か貢献をする責務を負っている。だが今はまだできない。そんなもどかしい気持ちが心の底にあります。
WUGは、私が仙台を離れたあとに誕生しました。WUGという作品および声優ユニットが仙台で歩んできた軌跡を、私はともにはしていません。
でもだからこそ、私は次のように感じました。いまだ何者でもない私が仙台を離れてさまよっている間、すなわち東北に貢献できるような者になるための時間を過ごしている間、WUGは私の故郷を支えていてくれたんだ、と。ライブで「言の葉 青葉」を聴きながら、あるいは「TUNAGO」を一緒に踊りながら、そんなWUGに対して、ありがとう、という気持ちがあふれ出してきました。
沼津は犬も歩けばラブライブに当たるというほどに聖地化が進んでいますが、仙台はそこまでではありません。少なくとも、仙台で日常を過ごしていてWUGを意識させられることは基本的にありません。でも、WUGという作品および声優ユニットの物語は、きっと誰かに「がんばっぺ!」という気持ちを、「タチアガ」る力を与えたことでしょう。そして、これからも誰かを「タチアガ」らせることでしょう。
5.おわりに
成人式の日に高校の親友とWUGの映画を観に行ったこと、その後ラブライブ!サンシャイン‼というひとつのアイドルアニメにはまったこと、WUG解散の報に触れたこと、大学の先輩がいつのまにかワグナーになっていたこと。
そんな偶然が長い時間をかけて連なって、私は今になってようやくWUGにちゃんと出会いました。あまりにも遅かったということは否めません。でも今、出会うことはできました。WUGについて無知な私ですが、この出会いを自分の中で風化させたくないという思いから、今回はこの記事を書きました。
WUGの物語を私は、WUGとともに時間を歩んできたワグナーの方たちと同じように実感することはできません。そのため彼らと同じ想いを持っているかのような顔をしてWUGに対して「ありがとう」とは言えません。
ただ、一時だけWUGに触れた私自身の物語ならば、私は実感することができます。その中で次のことは確かな仕方で感じます。
Wake Up, Girls! という素晴らしい作品の描く物語が、そしてWake Up, Girls! という気高い声優ユニットの紡ぐ物語が、私の知らぬ間に、私の故郷仙台に存在していてくれた。それはきっと誰かの目に留まって、その人に「がんばっぺ!」という勇気を与えたはずだ。それが、ひたすらに嬉しい。
だから私は私なりの想いを込めて言います。
わぐちゃん、ありがとう。