深呼吸の時間

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『花咲くいろは』を見返したので四十万スイの話をさせてくれ

0. はじめに 

 こんにちは。

 最近,Twitterでフォロワーと盛り上がったのをきっかけに,アニメ『花咲くいろは』を見返しました。大学1年生か2年生くらいの時に大好きになって,人生初のBD-BOXを買っちゃったりした作品です。ただ,通しで見たのは4,5年ぶりくらいかもしれません。

 何年も経ってから見返すとまた違った見え方になります。大学生の頃に感情移入していたのは,緒花でした。走ったり迷ったりしながら成長していく緒花を見ているうちに、なんだか走り出したくなってきて,近所の河原に真夜中に走りに行ったこともありました。ベタすぎてやばい。

 でも今回は,昔と比べて大人たちに感情移入しながら見ました。特に思ったのはこれ。

女将さん、メインヒロインじゃん……。

いやもちろん主人公は松前緒花なんですけどね。でもこの作品は,喜翆荘という場所の物語でもあり,この場所を守り続けてきた女将・四十万スイの物語でもある。そんなことを,昔見た時よりも強く感じたわけです。

 そんなわけで,今回の記事は『花咲くいろは』の登場人物である四十万スイについて語る記事です。

 

 

 「旅館商売はお客様が第一。自分のことなんて二の次、三の次さ。」女将さんは,厳しいながらも筋が通っていて,喜翆荘の従業員から厚く信頼される喜翆荘の精神的支柱です。でも女将さんの行動の仕方は、作中で少しずつ変化していくんですよね。

 

 まず,物語後半になると、女将さんは喜翆荘の経営から少し身を引くようになります。女将さんは映画への出資の話に一切口出しせず、それを「お前の好きなようにやってごらん」と、縁に任せました。その後女将さんは、喜翆荘を閉じることを決意し皆に伝えます。縁と崇子との結婚式が終わると、女将さんは、豆じいの引退によって書き手がいなくなる業務日誌とともに喜翆荘を閉じるつもりであることを、従業員たちに告げました。しかし、最終話の最後では、女将さんは思い立ったように緒花に業務日誌を渡します。誰に引き継がせるつもりも無かったはずの業務日誌。そこに続きが書かれる可能性を、緒花の手に委ねたのでした。

 

 このような行動の変化の背景には、一体どのような気持ちがあったのでしょうか。特に、女将さんはなぜ緒花に業務日誌を託したのでしょうか。喜翠荘を再建して欲しかったからでしょうか。それもあるかもしれません。でも根本にあったのは、それとはちょっぴり違う思いだったのではないかと私は思っています。

 今からしてみたいのは、緒花に業務日誌を渡すに至るまでの女将さんの心情の変化をたどる作業です。鍵になるのは、「喜翆荘とは何だったのか」という問い。喜翆荘とは何だったのかという問いは,喜翆荘をこれまで守り抜いてきた女将さんの人生の意味への問いでもあります。そして,女将さんの行動の変化は,女将さんの中でこの問いへの答えが変化していったということと関わっているように思うのです。

 

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1. 喜翆荘=自分と夫の夢

 喜翆荘とは何だったのでしょうか。

 

 21話で崇子に対して語られたように,「喜翆荘」という名前は「スイが喜ぶ旅館」を意味しています。亡き夫との結婚が決まった頃に,2人で引き継ぐことになった古い旅館。「自分たちが喜べずに,お客様を喜ばすことはできない」。そう言いながら夫がぼんぼり祭りの札に書いた名前が「喜翆荘」でした。つまり女将さんにとって喜翆荘とは,素敵な旅館を築きたいという,夫と2人で見つけた夢の象徴なのです。

 だから夫が亡くなった後も,女将さんは一人で懸命に喜翆荘を切り盛りしてきました。夫と2人で夢を見つけたあの時の自分を,貫き通すために。「母さんは父さんの亡霊にしがみついているんじゃない。過去にとらわれているんじゃない」「負けられないんだ、きっと。自分に負けられない」。劇場版の最後,緒花を抱えて戻って来た皐月が女将さんの姿を見てこうつぶやいたのは,夢を貫き通そうとする母の姿を,自分と重ねたからなのでしょう。

 

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2. 喜翆荘=しがらみ

 そんな女将さんが喜翆荘を閉じようと決意したのは,喜翆荘を異なった意味を持つものとして見るようになったからです。第24話で女将さんが緒花に明かした心境は次のようなものでした。

「みんなもう自分の道を歩き出してる。私らの夢にとらわれることはないんだ」

「縁には旅館経営は向いちゃいない。そうすりゃ喜翆荘で働く従業員全員が巻き込まれる。縁が,従業員が不幸になるのなら,もうしがらみを解いてやりたいんだよ。私と,あの人の夢から」

 この時女将さんは,自分の夢の象徴であったはずの喜翆荘を「しがらみ」だと言います。それは喜翠荘の従業員たちにとってのしがらみ,そして何より,息子である縁にとってのしがらみです。「縁は他にやりたいことがあったのに,喜翆荘を継ぐことに決めたって。皐月が出ていってからね」女将さんの中には,自分の夢=喜翆荘にこだわるあまり,縁の人生の選択肢を奪ってしまったという後悔があります。縁や従業員にはもっと自由に生きて欲しい。だから喜翆荘というしがらみはなくなった方がいいんだと,女将さんは思うようになったわけです。

 

 なぜ女将さんはこのような心境になったのでしょうか。

 一つ関わっているのが,映画の話が頓挫した第17話の後半で縁としていた会話でしょう。崇子は本気で喜翆荘のためを思っていたんだと必死に訴える縁に,女将さんはこう言います。「それにしても,お前がこんなにも人をかばえるようになっているとはねえ」と。縁は確かに旅館経営という意味では失敗しました。しかし女将さんはそこに同時に,縁の成長を見出します。旅館の番頭として優れているかどうかというフィルターを取り去って,息子の一人の人間としての成長に気づくのです。その体験が女将さんに,縁は自分の押し付けたレールの上の未来ではなく,縁自身の未来に辿り着くべきだと思わせたのでしょう。

 しかしさらなる背景には,皐月が第13話で喜翆荘を訪れたことも関わっているのかもしれません。出て行ってから20年あまりが経ち,喜翆荘にやってきた皐月。かつて喜翆荘を理解しようとしなかった自分の娘が,喜翆荘への理解を示します。きっとその時女将さんの中で,喜翆荘(=自分と夫の夢)を自分一人で守り抜かなくてはならないと必死になってきた気持ちに,一つの区切りがついたのです。だからこそ女将さんは喜翆荘の経営から少し身を引いて縁に映画の話を任せてみる気になったのでしょうし,それまでとは違う視点から喜翆荘を眺めるようにもなったのだと思います。

 

 いずれにせよ,女将さんが喜翆荘を閉じることにした裏には,自分にとっては夢であった喜翆荘が縁や従業員にとってはしがらみになってしまうのだという考えがありました。

 

***

 

3. 喜翆荘=ぼんぼり

 女将さんは喜翆荘を閉じるという意志を最後まで貫き通します。しかし,直接的なセリフでは語られないものの,女将さんは最後にもう一段階,心境の変化を経験しているように思えます。この記事の本題はここからです。

 

 緒花に自分の考えを聴いてもらって以降,ぼんぼり祭りまでの時間は,女将さんにとって,これまで喜翆荘を続けてきたことの意味と向き合う時間となったのだと思います。その中で女将さんは,緒花をはじめとする喜翆荘の皆の気持ちに触れていきます。そうして女将さんにだんだんとわかっていったのは,自分と夫の夢でしかなかったはずの喜翆荘が,皆の夢を作り出し,皆の歩く道を照らしていたんだということです。

緒花は,気持ちを明かした女将さんに反論しました。「もう喜翆荘は女将さんたちだけのものじゃないんです。みんな喜翆荘で働きたいんだから!喜翆荘がみんなの夢になるかもしれないんだから!」

菜子の言葉を,女将さんは建物の窓越しに聞きました。「自分だけの夢は持てない,走れないけど,夢を持っている人に一生懸命ついていくこと,それが夢になる人だっているんだから」

ぼんぼり祭りの最中,女将さんは「四十万スイになりたい」と書かれた緒花ののぞみ札を見つけます。

そしてぼんぼり祭りの後,女将さんは縁の口から夢を聞きます。「もっと勉強して,もっと修行して,またいつか旅館を再開したい。そのときは……そのときは喜翆荘の名前を受け継がせてもらいたいんだ。母さんが,女将が喜ぶ旅館を,俺,作りたいんだ」。押し付けてしまったと思っていた喜翆荘が,しがらみになっていると思っていた喜翆荘が,今の縁にれっきとした夢を与えているということを,女将さんは知るのでした。 

 

 女将さんは,一つ大事なことを思い出させられたのかもしれません。それは,夢というのは孤独に自分だけで見つけるものだとは限らないということ。誰かとの関わりの中で,その人の夢や大切にしているものを知って,やがてそれが自分にとっても大切なものになっていって,そうやって見つかる夢もある。そうやって進んでいく人生もある。そもそも女将さんの夢だって,自分が恋をした人と一緒に見つけたものでした。

 

 では喜翆荘とは何だったのでしょうか。

 最終話前半の緒花のモノローグを思い出しましょう。「わたしね,ちゃんと見つけたよ。女将さんみたいに,仕事に誇りを持って,一生懸命になって,ちょっと子供っぽくて,いつまでも一番最初の気持ち,最初の夢を忘れないで,そんな風になりたい。でもその夢は,自分だけじゃ見つからなかった。いろんな人の『ぼんぼり』が,照らしてくれたから」。ぼんぼり。迷子にならないように,進むべき道を照らすもの。人は自分の力では進むべき道はわからない。だから,他の誰かが灯すぼんぼりが必要なのです。

 いうなれば,女将さんの知らぬ間に喜翆荘は,あるいは喜翆荘を守り続けてきた女将さんの姿は,緒花や縁,従業員たちにとって,歩く道を照らしてくれる「ぼんぼり」になっていたのでした。

 

 喜翆荘は「しがらみ」なのでしょうか。それとも「ぼんぼり」なのでしょうか。そこに客観的な答えはありません。他にやりたいことがあったのに喜翆荘を継ぐことになった縁。しかし今は喜翆荘再建という夢を持つようになった縁。彼の歩む道は,喜翠荘に縛られていると見ることもできれば,喜翆荘に照らされていると見ることもできます。どちらの見方が正しいのかは,誰にもわかりません。そして同じことは,緒花や他の従業員たちに関しても言えます。

 おそらく女将さんの中で,喜翆荘がしがらみになるという考えも,皆に自由な道を歩んで欲しいという願いも,変わることはないのでしょう。でも喜翆荘が皆にとっての「ぼんぼり」になっているということを理解し,女将さんはどこか救われたのではないかと思います。なぜなら,そのことが女将さんの人生に,自分の喜びのために周りを犠牲にしてきたというのとは別の意味を与えてくれるからです。

 

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4. 緒花に業務日誌を渡したこと

 女将さんは最終話のラストシーンで,発とうとする緒花に業務日誌を渡します。さて,そこにはどんな思いがあったのでしょう。

 

 「業務日誌は喜翆荘の歴史そのものだよ」。喜翆荘を閉じる意志を皆に伝えた22話で,女将さんはそう語っていました。だから誰かに業務日誌を渡すということは,喜翆荘の歴史を背負わせるということを意味します。

 もともとこの業務日誌は,誰にも引き継がせるつもりのなかったものでした。業務日誌=喜翆荘の歴史を閉じることで皆をしがらみから解いてやりたい。それがもともとの女将さんの気持ちだったからです。また,喜翆荘を閉じた時には女将さんは縁や従業員の気持ちを知っていましたが,それでも誰にも業務日誌を渡しませんでした。やはりそれは,しがらみを背負わせたくないから。あくまで業務日誌を自分の鞄の中にしまったまま,女将さんは喜翆荘と最後の別れの時を過ごします。

 

 しかしその孤独な時間を破るように聞こえてくる「うおーりゃああああ!」というかけ声。その声の主は緒花でした。「えーと,ちょっと乗り遅れちゃって。次の汽車まで時間あるし,ちゃんと,お世話になりましたって,ここに,喜翆荘にお別れしたくて」。そして,駅まで見送りについていく女将さんに緒花は「それでも,それでもわたし,いつかここに帰ってきます」と言います。

 ここに来て女将さんは思い立ったように業務日誌を取り出し,緒花に渡します。喜翆荘の歴史,つまりしがらみを象徴するはずのそれを,緒花に託すのです。それはきっと,この業務日誌が緒花のぼんぼりになってくれるという物語を信じてみたいという気持ちになったから。いつも信念を曲げなかった女将さんは,最後にこうして,少しだけ信念を曲げるのです。

 

「緒花。いつか帰ってくるんなら,その時はあんたが伝六さんの代わりにこれを」

「い,いいんですかわたしで?」

「嫌ならいいよ」

「か,返しません!わたしが,わたしが豆じいの続きを書きます!この業務日誌を!だから,必ずここに……ここに……」

「ああ,待ってるよ」

「はい!」

 

 業務日誌を託すことで,緒花にしがらみを背負わせてしまうのかもしれない。同じ罪を繰り返してしまうのかもしれない。だけど今は,緒花の言葉を,緒花の夢を信じてみよう。

 夫と2人で見つけた「夢」にこだわってきた自分の人生。皐月や縁を犠牲にしてしまった,エゴイズムに満ちた人生。でもそれがもし,他者の行く道を照らすものになってくれていたなら——。

 

 答えは誰にもわかりません。もしわかるとしてもそれはずっと未来の話。

 女将さんが願っているのは,必ずしも喜翠荘再建それ自体ではないのでしょう。女将さんが願っているのは多分,自分と夫の夢が,誰かの人生の中で意味を持ってくれること。それは祈りにも似た気持ちです。

 

 そんな祈りを胸に女将さんは,去っていく電車に向かってもう一度静かにつぶやくのでした。「待ってるよ」と。 

 

***

 

5. おわりに

 ここまで,『花咲くいろは』のラストシーンに至るまでの女将さんの心情を,「喜翆荘とは何だったのか」という問いをガイドにして辿ってみました。

 喜翆荘とは,女将さんが亡き夫と2人で見つけた夢の象徴,素敵な旅館を築きたいという夢の象徴です。女将さんは,その「夢」が縁や従業員の未来にとっての「しがらみ」になってしまうことを恐れ,喜翆荘の閉館を決めました。しかし,喜翆荘が皆の夢を作り出していることを知った女将さんは,業務日誌を緒花に託し,喜翆荘の持つ「ぼんぼり」としての意味を信じることにしたのです。

 

 『花咲くいろは』という作品は,喜翆荘という場所に投げ込まれた緒花がそこでいろいろな経験をし,夢を見つけ,もとの日々に戻っていくまでを描きます。だけどそれは,喜翆荘という場所を守ってきた女将さんの物語と表裏一体になっています。『花咲くいろは』は,四十万スイが自分の人生の意味に向き合う物語でもあるのです。

 

 『花咲くいろは』のテレビシリーズの放映は2011年のことなので,放映からもう9年が経ちました。緒花は今頃いったいどんなふうに人生を生きているのでしょうか。私は放映当時は緒花と同じように高校生でしたが,今は社会人になり,あの頃おぼろげに思い描いていたのとは少し違う道の上を歩いています。緒花はどうなのでしょうか。

 もちろん,喜翠荘が再建され,そこにあの時の面々が再集結していたら嬉しいとは思います。でも,そうなっていなくてもいいのだと思います。そういうわかりやすい物語になっていなくてもいい。緒花がまた新しいぼんぼりに出会って,ちょっとだけ違う道を進むようになっていてもいい。『花咲くいろは』は,ただ輝こうとする物語ではなく,いろんな人の輝きに出会いながら輝き方を見つけていく物語なのですから。

 だとしてもきっと,緒花の中で喜翆荘は,女将さんのぼんぼりは,今も輝き続けていることでしょう。ただそれだけでも,喜翆荘にこだわり続けた女将さんの人生には,れっきとした意味があると思うのです。

 

 

 ***Thank you for reading***