深呼吸の時間

ラブライブとか 読書とか

11人のLiella!って何だろう?

 

昨日、Liella!5thライブの東京公演Day1に現地参加した。今、Day2の現場に向かう道中でこの文章を書いている。

 

昨日のLiella!を見て思った。とても「変化に富んだ」グループになったなと。

これは、2期生、3期生の加入によって「変化していく」というのもそうなのだけど、まさに今現在の中でパフォーマンスのあり方を無数に変化させられるということだ。

全員で、期別で、ユニット別で──同じライブの中で、ステージの様相が目まぐるしく変化していく。1期生曲のリバイバルも、全員での一体感を見せる「ノンフィクション!!」と1期生のフォーメーションを基盤にした「Wish Song」とではアプローチが違う。

今のLiella!は、手札をいくらでも持っている。融通無碍という言葉を使ってもいいかもしれない。

 

もともと、Liella!が1期生の5人から始まったあの頃、5人という少人数でのステージの一体感、ハーモニー、そういうものがLiella!の魅力を形成していたように思う。

今、それはもはや「Liella!」の全体像ではない。このことへの寂しさが無いといえば嘘になる。しかし、その5人のLiella!の魅力は、消えたわけでもない。1期生曲をリバイバルしたこの5thライブが、そのことを示そうとしている。

かつての5人のLiella!の魅力をなしていたもの、それは、現在のLiella!の「一部」となって息づいている。そういうことだ。

まさしく空に輝く大三角の一角のように。

 

11人のLiella!って何だろう。11人のLiella!の全体像は、まだ私の目には完全には見えきっていない。11人のLiella!がひとつのまとまりとしてはっきりするのは、きっとアニメの3期を経た後だろう。

だが、融通無碍な、「変化に富んだ」グループへとLiella!が進化を遂げたのだということはよくわかる。そしてそれが自分をこの上なく楽しませてくれるものだということも。

Liella!のこれからがとても楽しみだ。

 


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ところで、はたして今日の千秋楽で、アニメ3期の情報は新しく発表されるだろうか。

坂倉花さんが最高すぎるので、動く鬼塚冬毬ちゃんも早く見たくてたまらない。坂倉花さん好きです。ああ。

 

2023年歌舞伎観劇の振り返り

 早いもので2023年ももう終わろうとしている。

 何か今年一年を振り返るものを書いておきたいなと思い、2023年に観劇した歌舞伎の内容をまとめてみることにした。あくまで自分の備忘録用にであるが。


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精神保健福祉の仕事を始めて1ヶ月のメモ

 目指していた精神保健福祉の仕事に4月から就き、1ヶ月が経った。この1ヶ月で感じたこと、考えたことをここにメモしておこうと思う。あくまでメモという程度で、そこまでまとまりのある文章にするつもりはない。

1.どんな内容の仕事か

 僕の就職先は、精神障害者支援を行うある社会福祉法人である。そして僕は、法人の運営する事業所のうち「就労継続支援B型」の事業所(以下B型事業所)に配属された。
 このB型事業所というのは「作業所」と呼ばれもする一種の通所施設である。精神障害により普通に働くことが難しい方たちが、そこで軽作業に従事するとともに少額のお金(工賃)をもらい、そうする中で安定した社会生活を取り戻していけるようにするための施設だ。このB型事業所なるものの職員が僕の仕事である。

B型事業所の職員の仕事に含まれる要素 
 身を置いてみて、B型事業所の職員には大きく3つの役割があるように思った。
 1つ目は、マネージャー的役割。地域の企業などから作業を受注し、納期通りに作業が完了できるよう進捗を管理していくことで、作業所としての枠組みを整える。また、企業などから支払われた作業代金を利用者さんの工賃として分配することもそこに含まれる。
 2つ目は、同僚的役割。この同僚というのは利用者さんにとっての同僚という意味。利用者さんだけでなく職員も一緒に作業に入り、利用者さんと協力・分担して作業を行う。
 3つ目は、支援者的役割。利用者さんそれぞれの持つ障害その他の事情と本人の希望を理解したうえで、いわゆるエンパワメントにつながる関わりをしていく。つまり、本人が力を発揮できない状況が変化するように、本人および環境に対する働きかけを行う。
 なお、1つ目と2つ目の役割を3つ目の役割から切り離して考えてはいけないように思う。目に見えやすいのは1つ目・2つ目の役割だが、作業を進めていくことはそれ自体が目的なのではなく、あくまで支援の手段である。その意味で、1つ目・2つ目の役割は3つ目の役割に従属するものである。

2.不安

 自分にとって、対人援助の仕事をするのは全く初めてのことだ。対人援助の仕事は、利用者さんとの信頼関係および支援者どうしの信頼関係が肝であると言われる。つまり、人間関係構築の力が求められる仕事である。 
 僕は、人間関係構築への苦手意識を昔から持っていた。だからこの1ヶ月は、利用者さんに受け入れてもらえるか、他の職員に馴染めるかがものすごく不安だった。そうしたことに神経質になっており、ちょっとした相手の反応でメンタルが上がり下がりしていた。
 その不安を自分はこれからも持ち続けるのだろうが、もっと楽な気持ちで仕事ができるようになればいいなと思う。同時に、今のこの心の動きを自分でしっかり見つめておくことが大事だろうなとも思う。

3.仕事の難しさ

ついつい利用者より先に動こうとしてしまう
 利用者本人から自己決定や苦労の機会を奪わないようにする、というのは精神保健福祉士の基本的な考え方として教えられることの一つだが、実際に現場に入ってみるとこれがなかなかに難しい。ついつい先に動いて利用者さんの負担が減るようにしてしまったり、勝手に利用者さんの心理を推し量っていらん言葉かけをしてしまったりする。なんで先回りして動きたくなるのかというと、例えば、自分がぼけーっとしてたら頼りなく思われるんじゃないかという恐れとか、自分が利用者さんの持っている力をちゃんと信じられていないとか、たぶんいろんな心理がそこには絡んでいる。
 ところで先輩職員を見ていると、「どうしたいですか?」と本人に自然に尋ねている。僕に対して新人教育をする時も、「どうしたいですか?」と何かと聞かれるような気がする。きちんと自己決定してもらう。見習っていきたいところである。

ストレングス視点をなかなか持ち続けられない
 ストレングス視点をベースにした関わりをすることの難しさを感じている。B型は地域活動支援センターなどと違って、利用者本人の好きなことをやる場ではない。一定の選択権は利用者さんにあれど、やらなければならない「仕事」を皆で一緒にこなしていく場がB型である。そうするとどうしても、利用者さんの「できないところ」「足りないところ」が目立って見えてきてしまう感じがする。スピードが周りと比べて遅いとか、やり方を間違えてしまうとか、状況判断ができないとか。頭ではストレングス視点を持とうとしているのに、いつの間にか利用者さんを「できない人」としてネガティブに見ている自分がいる。それが悔しい。
 先輩の書いた個人記録を見ると、足りないところだけでなく、良かったところや頑張っているところもバランスよく書かれていて驚かされる。僕の目にはまったく見えていなかったストレングスがそこに書かれていることも結構多い。利用者さんをよく見ている。それも、ストレングス視点を持たなきゃなどと力まずにそれをやっているような雰囲気だ。
 利用者さんをただ外から見ているだけだと、何か画一的な基準に照らして利用者のことを考えてしまうようになるような気がする。では内側から見るとはどういうことかというと、それは、本人が何を望んでいるのか、何を目指しているのかという、本人の内面的な物語を見るということだと思う。しかし、言うは易しだ。それをもっと知っていくためにはどのようにすればいいのだろう……?

4.仕事の楽しさ

 利用者さんの笑顔に触れたり、利用者さんと会話が弾んだりすると、びっくりするくらい嬉しい。ここまで不安や難しさなどネガティブな面をつらつらと書いてきたが、ここに一番書き留めておきたいのはむしろこっちだ。
 例えば、職員僕一人での公園清掃に初めて出かけた時。公園清掃の作業自体にも不安があったが、それ以上に不安だったのは、一緒に行く利用者さんとのコミュニケーションがうまく取れるかということだった。でも、公園への行き帰りで思いの外利用者さんと会話をすることができ、とてもホッとしたのだった。会話を始めてくれたのはたしか利用者さんの方からだったと思う。
 あるいは、僕の正面の席で作業をしていた利用者さんがトイレに行って戻ってきた時、「おかえりなさい」と声をかけると、とても嬉しそうな笑顔を見せてくれた。それはいろいろと難しいところがあると他の職員から聞いていた利用者さんだったのだが、だからこそ、その笑顔からうかがえたごく当たり前の人間的な感情が印象的で、僕自身も嬉しかった。
 また、会話の中で、利用者さんから僕がどう見えているかを知り、それで心が動くこともあった。ある日の作業終了後の清掃時間中、僕はある利用者さんと雑談をしていたのだが、その中でその利用者さんが「頼もしい」と僕に言ってくれた。僕自身はむしろ自分のことを頼りないと思って自信を失う瞬間の方が多かったので、「頼もしいですかねえ?」と苦笑いで返すと、「どう頼もしいかというと、話を聞くのが上手です」と説明してくれた。どうやら僕がイメージしていた頼もしさとその利用者さんが実際に感じる頼もしさは、方向が違うものだったらしい。そして僕は、その利用者さんが「頼もしい」と感じるものを、知らずに少しは持てていたらしい。人柄を受け入れてもらえてるんだと感じた瞬間だった。
 やりがいというほどの明確な何かはまだ僕の実感の中にはない。なぜならまだ僕は、利用者さんそれぞれの抱えている事情もよく知らず、したがって支援者としてどういう動きが求められるのかもよくわからず、ただそこにいるだけの存在に過ぎないからだ。でも、利用者さんとのごく当たり前の人間的関わりの中で感じる楽しさや嬉しさを、今は大切に感じながら過ごしていきたい。それでいいのだと思う。
 そう、ごく当たり前の人間的関わり、それがきっと最も大事なものなんじゃないか。職員と利用者、健常者と障害者、そういう線引きを先に置いて関わりたくはない。どちらも同じ人間で、相手に受け入れてもらえるかというような不安をお互いに抱えている。でもそういう弱さを抱えながらだからこそ、関わりの喜びもそこに生まれる。僕はそういう中で仕事をしていくことのできる者でありたい。


 他にもいろいろあるのだが、全て書こうとするときりがないので、こんなところにしておこう。
 就労継続支援B型が行う支援とは何なのか?ここに配属され、僕は今学び始めたばかりだ。意外に思うこともある。それでいいのだろうかと思うこともある。だが、僕はまずはじっくりと、そこにある意図を見ていくようにしなくてはならない。したい支援の押し付けにならないように、必要な支援がちゃんとできるように。

日記:歌舞伎「髪結新三」を観た

 

久々に歌舞伎に行った。たしか半年ぶりくらい。歌舞伎座の團菊祭五月大歌舞伎の夜の部。目当ての演目は「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」だ。

 

一演目目は「宮島のだんまり」。

悪七兵衛景清とか平清盛とかいろんな有名人が出てきてだんまりを演じる短い演目。数分遅れて行ったのもあってよく意味がわからなかった。なんでこんないろんな人たちが一同に会しているのだろうか。

最後は幕引き後に袈裟太郎とかいう人物(雀右衛門)がスッポンから現れて六方で花道を引っ込む。六方はいかにも歌舞伎を観に来たという感じがして嬉しかった。

 

二演目目は「達陀」。

東大寺二月堂の「お水取り」という行事に臨む僧集慶(松緑)のもとに、かつての恋人(梅枝)が現れる。この恋人は青い衣をまとっており、「青衣の女人」と呼ばれるが、スッポンから現れるので彼女はおそらく幻影。

青衣の女人が現れたり消えたりする中で、集慶の意識は彼女と恋をしていた過去へと引き戻されるのだが、それが舞台上で幻想的に表現される。舞台上に桜の木が映し出され、出家前の若き頃の集慶(左近)が登場し、青衣の女人とともに踊る。その踊りがとても美しかった。「二人椀久」を思い出した。

クライマックスでは、僧がたくさん登場し、松緑を中央にして足を踏み鳴らしながら群舞を踊る。赤い照明の中踊る姿が迫力強め。坊主版乃木坂46だあと思った。なお、全員格好が同じなのと舞台が暗めなのと僕が眼鏡を忘れたのとで、誰がどの役者なのか全然区別がつかなかった模様。

 

三演目目が「髪結新三」。

廻り髪結をしている小悪党新三(菊之助)が、白木屋という良いところの娘お熊(児太郎)をさらう話。菊之助の顔が整っているのですごくかっこいい。

この新三というのがかなり悪いやつというか、どう見ても反社会性パーソナリティ障害でやばい。

お熊と恋仲の素直な青年忠七に駆け落ちを勧め、駆け落ち後に自分の家にかくまってやると言ってお熊を連れ出させるのだが、お熊の連れ出しに成功すると新三は一気に手のひらを返して忠七とした約束を無かったことにする。キャンセルするとかじゃなくて、その約束の話をしている忠七の方が嘘をついて付きまとってきているということにしてしまう。ついでに忠七が買った傘も自分が買ったということにして持っていってしまう。ひどい。そして、家に連れていったお熊のことは、わめくのがうるさいからという理由で縛って戸棚に閉じ込めてしまう。ひどい。しかも新三はその自分の行動を当然のことのように他の人にベラベラ話す。隠さない。頭のネジが外れている。

後半では、新三の住む長屋の大家である長兵衛(権十郎)が登場し、新三を言い負かしてお熊を白木屋に返させる。この新三と長兵衛のやりとりが「髪結新三」最大のみどころだった。

長兵衛は表面上はやわらかい人柄のじいさんなのだが、こいつもだいぶ悪いやつで、たくらんでいるのは白木屋からのお礼をもらうこと。半端なく肝がすわっており、のらりくらりと喋りながら新三の弱みを鋭く突いていく。

……もっと書くつもりでいたのだが、疲れてきたのでやっぱやめにしよう。とにかく、長兵衛の強キャラ感がすごかった。あと長兵衛の奥さんのババア(萬次郎)もなんかすごかった。

前半は新三の悪者っぷりに圧倒され、後半は新三と大家のやりとりにたくさん笑わせられた。言い負かされてシュンとしてる新三がかわいかった。本当に楽しくて、見終わった後にはなんだか明るい気分になっている演目であった。

 

「髪結新三」は河竹黙阿弥作であるという。

黙阿弥と言えば「弁天娘」などの白浪物だが、今日初めて観た「髪結新三」にも、「弁天娘」などと共通する世話物の魅力がこれでもかというくらい詰め込まれていると感じた。

その魅力とは何だろう?もちろん悪党のヒールなかっこよさというのは大きいが、それとは別に今日観劇しながら思ったのは、自分も新三や長兵衛と同じくらい良心をかえりみずに生きられたら楽しいだろうなあということだ。

そう、黙阿弥の世話物には、正しく生きられない人間の弱さを肯定的あるいは喜劇的に描こうとする「おおらかさ」があるんじゃないかと思う。人間生きてりゃ何でもいいんだ、と。だから明るい気持ちになれるのだ。

 

前日にふと思い立ってチケットを取ったが、久々に観劇できて良かったと思う。良きGWだ。