深呼吸の時間

ラブライブとか 読書とか

私と『ラブライブ!サンシャイン‼』の「出会い」の物語

1. はじめに

ラブライブ!サンシャインAqours 5th LoveLive!〜Next SPARKLING!!〜(以下「5thライブ」と表記)が目前に迫っている。

2019年6月8日、9日。

舞台は埼玉メットライフドーム

 

メットライフドームは、かつてAqours 3rd LoveLive! Tour~WONDERFUL STORIES~(以下「3rdライブツアー」と表記) がスタートした場所でもある。あれは2018年6月9日と10日。奇しくも、この5thライブのちょうど一年前であった。

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そう、あれから一年が経った。それは同時に、私が『ラブライブ!サンシャイン‼』に本当の意味で「出会って」から一年が経ったということでもある。

あれから『ラブライブ!サンシャイン‼』は私の生活にとって無くてはならないものになった。Aqoursは私のヒーローになった。そしてこの一年の間に、私はツイッターラブライブ用のアカウントを作り、このはてなブログを開設し、そしてネット上で知り合ったラブライバーたちと実際に会ったりもするようになった。

 

この記事は、一年前に起こった『ラブライブ!サンシャイン‼』と私との「出会い」を滔々と語る、くそ自分語り記事である。

 

 

ところでこのブログを4thライブ直前に開設したときから私は、『ラブライブ!サンシャイン‼』にはまった経緯をいつかブログで語りたいと考えていた。それを今このタイミングでやるのは、1年という節目だということに加えて、もう一つ理由がある。

 

私は1年前、人生の迷いの中にいた。そんな私は、3rdライブツアーを追いかけることを経て、一つの決断をした。はずだった。そうして、『ラブライブ!サンシャイン‼』に支えられながら、その決断した方向に走ってきた。はずだった。

しかし最近になって、その決断がまた揺らぎはじめている。いや、むしろ私の「ハートの磁石」は、あの時とははっきりと逆の方向に動きつつある。

それとともに思うのだ。あの時の「出会い」はいったい何だったのだろうか?と。あれから歩んできた私の道のりはいったい何だったのだろうか?と。それは無意味なものだったのだろうか?と。

 

思えば、『ラブライブ!サンシャイン‼』にはまったことの背景にどんな思いがあったのか、誰にもちゃんと語ったことはなかった。

リアルの生活上の周囲の人たちは、私がラブライブ好きだということは知っている。だが、Aqoursを追いかける私の心の底に何があるのかは誰にも語っていない。『ラブライブ!サンシャイン‼』の外にいる人たちから見れば所詮はアニメに影響されたというだけのバカな話にしか聞こえないだろう。きっと誰にも理解されないに違いない。そう思って、誰にも話せなかった。

ネット上でも語ってはいない。ツイッターやブログで『ラブライブ!サンシャイン‼』に対する想いを発信するようにはなった。他の人からもそれを受け取り、交流するようになった。だが、その「出会い」を十全な形で語るためには、それを私の個人的な事情と結びつける必要がある。だから躊躇いがあった。

そうやってこれまで誰にも話せないでいた。誰かに聞いてもらいたいという思いはあった。でも、『ラブライブ!サンシャイン‼』と「出会った」私自身の物語は私自身の中に確かにあるから大丈夫だ、私自身で支えればいいんだと、そう言い聞かせていた。

 

しかし、私の「ハートの磁石」は、1年前にした決断とは違う方向に動こうとしている。それゆえ私自身がその物語の支え手として覚束なくなっている。

だから私は、ここに『ラブライブ!サンシャイン!!』と私の「出会い」の物語を記し、置いておきたいと思う。それが確かな出来事だということはいつでも確認できるんだと、そう安心できるように。

 

そうして私は、後ろ髪を引かれることなくメットライフドームAqours 5thライブと相対しよう。「あたらしい輝き」へと手を伸ばすAqoursの姿を心に焼き付け、私自身があたらしい歩みを始められるようになるためにーー。

あたらしい輝きへと 手を伸ばそう

(「Next SPARKLING!!」、作詞 :畑亜貴

 

 

それでは、あの時の話をしていくこととしよう。

 

私は、チケットが当たって、3rdライブツアー埼玉公演Day2の現地に行くことになっていた。

とはいえその時までの私のラブライブシリーズへの触れ方はかなりライトだった。触れてはいた。スクフェスから入り、無印の劇場版が上映開始されたころに無印のアニメを見、μ’sのファイナルライブはLVに行った。『サンシャイン‼』の1期を見て、Aqours1stライブはLVに行った。2ndライブツアーは最終日に現地参戦した。その後アニメの2期ももちろん見た。そんな感じで、ラブライブ!シリーズに多少触れてはいた。ラブライブ!シリーズのミュージカル的な明るさが、仲間と困難を乗り越えていく熱さが、ライブの一体感が、好きではあった。しかし継続的に関心を向けていたわけではなく、あくまで数ある娯楽の対象のひとつといった感じだった。

そんな私は他の日にライブビューイングに参加しようとかいうこともはっきりとは考えておらず、参加を決めていたのはその日だけだった。

3rdライブツアーの目玉のひとつは、アニメ第2期6話挿入歌「MIRACLE WAVE」内で千歌が跳ぶバク転の再現である。

メットライフドームでそのバク転に臨む伊波杏樹さんの姿を見た私は、彼女のバク転を最後まで見届けなくてはならないと強く思わせられてしまうことになる。そうして、私は結局ツアーファイナル(のLV)に至るまで3rdライブツアーを追いかけたのだった。

 

 

2. 3rdライブツアー当時の私の個人的状況

ただしその一連の体験を十全に語るためには、少しラブライブの話から離れて、私が当時置かれていた個人的な状況に触れなくてはならない。少々お付き合いいただこう。

 

私は、とある大学院の文系の修士課程に在学している。

もともと、そのまま博士課程に進んで研究者になろうと思って大学院に進学した。

だが、そこで壁に突き当たった。自分のいろいろな「できなさ」と直面した。勉強のペースが全然作れない。物事を整理して説明することが下手くそ。発表の準備を当日までに間に合わせられない…などなど。

研究室の先生には「君は自己管理ができないから研究者は向いていない」とはっきり言われた。

その中で私はだんだんと自分の能力への自信を失い、意欲も失っていった。

もともと私は本を読んだりしながら考え事にふけるのが大好きで、その延長で院に進んだはずだった。それなのに、本を開いても劣等感が先に湧いてくるようになり、面白いという気持ちが感じられなくなった。研究室からも足が遠のいた。駄目な自分への嫌悪と劣等感に心を支配されて、自分が何者なのかわからなくなった。「なんで人間って存在し続けるようにできてるんだろうなあ」とか「いまここにダンプカーでも突っ込んできてくれたら楽なのに」みたいなことを毎日のように思うようになった。そんな状態をどうしたらいいのかわからず、そんな状態になっているということから目も逸らして、私はぼやぁーっと時を過ごしていた。

 

 

そんな私は、3rdライブツアーの少し前、いいかげん自分の「できなさ」と向き合おうとふと思い、重い腰をようやく上げて2つの行動をする。一つ目は就活を始めたということ、二つ目は精神科に行ってみたということだ。

 

まず、世間の流れに少し遅れる形で、就活をすることにした。諦めなくてはならないと思ったからだ。自分は研究者の世界で生きていく人間ではなかったのだ、と。そのことにちゃんと目を向けて、何か他の道を探さなくてはならない、と。そうして4月末頃から動き始めた。

 

それと同時に、精神科に行ってみようと思った。どうせ自分の「できなさ」に屈するならその「できなさ」のことをもっとよく知っておこうと思ったからだ。

前にネットで情報を目にしたことがあった、「ADHD」(注意欠陥多動性障害、Attention Deficit Hyper-activity Disorder←英語を声に出して読むとちょっとかっこいい)という発達障害。集中力がないとか、そわそわ動いてしまうとか、思ったことを深く考えずにやってしまうとか、片付けや時間管理、タスク管理ができないとか、そういった諸々の症状から成る発達障害だ。それの特徴にいくつか心当たりがあった。

本記事はADHD発達障害について語ることが目的ではないので、詳しい説明はしません。ネットで調べるとたくさん情報が出てくるので気になる方はググっていただければと思いますが、一応私が参考にしたサイトをいくつか貼り付けておきます。

adhd.co.jp

www.kaien-lab.com

 

行ったのは小さいクリニックだったので、そこでは厳密な検査を踏まえての「診断」はできないようだった。だがそこの先生に昔からの思い当たる症状をいろいろ話していったところ、「ADHDの可能性が高いと思う」と言われ、「ストラテラ」というADHDの症状を緩和する薬を服用し始めることになった(「診断」は受けていないためいわゆる「ADHDグレーゾーン」ということになるようだ)。それが5月の半ばのことだった。


就活の方は置いておいて、ADHDについての話を少し続ける。

精神科を受診して以後、そこの先生と話をするとともに、自分でもネットや本を介してADHD発達障害一般についての情報を集めた。それを通じて、私は発達障害についておおまかに2つのことを理解した。

第一に、発達障害を抱えた人間は、「できない」ことと「できる」ことの差が激しいいびつな人間なのであって、「何もできない」人間だというわけではないのだということ。

第二に、発達障害を抱えた人間に必要なのは、周りに合わせようとすることよりも、自分の特性を理解して自分なりのやり方を見つけることなのだということ。

自分がADHDなのだとしたら、これらのことが自分にも当てはまることになる。そこから、私の自己認識が変化し始めた。自分にはたしかにできないことが多いが、何もかもできないというわけではないのかもしれない、と。

そういえば「いちきんぐくんにはセンスがある」と言ってくれる先生や先輩もいたりした。自分の能力は、今はADHDの特性からくる諸々の「できなさ」によって阻まれているが、その「できなさ」を自覚的にコントロールするやり方を身につければ、うまく発揮されるのかもしれない。そして、そうなればもしかすると研究の道でやっていく希望があるのではないか。

そうやって、私は自己否定感から少し解放され始めた。


つまり、自分の「できなさ」と向き合おうと思った私は、一方では研究者の道を諦めようと考え就職活動をしていた。他方では、ADHDとしての自己理解を通じて自分にも可能性があるのかもしれないという思いも生まれていた。私は迷いの中にいた。

そんな時にAqours3rdライブツアーは始まったのである

 

3. 3rdライブツアー埼玉公演Day2

3rdライブツアー埼玉公演Day2。メットライフドーム

ステージの上にいたのは、「くそーー!」と叫ぶ伊波杏樹さんだった。

その日、伊波さんの「MIRACLE WAVE」でのバク転は、少しだけ、よろけてしまったのだった。

 

曲が終わってからのMC、伊波さんは最初に「ちょっとよろけちゃった、えへへ…」と苦笑いをした。そして「くそーー!」と叫んだ。その声は抑揚を欠いていて、なんだかちょっとふざけてるようにも聞こえた。でもそれがかえって彼女の中にある悔しさを映していた。

成功したということにしてもいい程度のよろけ方なのに。よろけたことに触れずに「MIRACLE WAVE完成させたぞ!」という(おそらく台本にあるのであろう)セリフからMCを始めてもいいのに。

なのに伊波杏樹という人間は、そうすることができない人間なのだった。

 

アンコール後のMCで、伊波さんは観客に静かに問いかけた。「私は2ndライブツアー最終日この場所で、3rdライブツアー絶対びっくりさせてやるからな!と言いました。私はびっくりさせられましたか?有言実行できましたか?」と。

伊波さんはこの日のバク転を不完全なものだったと思っている。我々観客は、それを理解しつつ、だからこそその問いかけに対して全力で肯定の「イエーイ!」を返した。伊波さんも我々がそう答えるであろうことはわかっていたのだろう。彼女は、真剣な表情で、噛みしめるようにして、我々の叫びを聞いていた。

高槻さんが「今すぐ抱きしめたい…」とつぶやいたのをきっかけに、メンバー全員が伊波さんへと駆け寄って抱きしめる。伊波さんは苦笑しながら「なんでだよー」と言う。観客席からも自然と拍手が沸き起こる。伊波さんはそれに対しても「何の拍手だよー」とツッコむ。

そして彼女は、「Aqoursはすごいんだぞ!」と繰り返し叫ぶ。「もっともっとびっくりさせてやるからな!」とさらに叫ぶ。力の限り。自分に言い聞かせるようにして。

 

あの日私が見たもの、それは、バク転でよろけてしまった「弱い」伊波杏樹だった。でもそれ以上に、自分のパフォーマンスの不完全さから目をそらすまいとする「強い」伊波杏樹だった。加えて、そんな彼女を抱きしめ支えようとする他のメンバーの姿だった。

彼女らの姿は眩しかった。

そして、迷いの中にいたこの時の私には、この伊波さんのバク転を最後まで見届けることが、なんだが必要なことのように思えた。私は自分の「できなさ」と向き合いたいと思っていた。だからだろうか。彼女が自身の不完全さと向き合いそれを泥臭く乗り越える姿を、なんとしても見届けなければならないと思ったのだ。

私の中のラブライバースイッチが入ったのはこの時だった。

 

4. 私自身の物語としての『ラブライブ!サンシャイン‼』

私は、大阪公演Day2と福岡公演Day1およびDay2のLVに行くことにした(大阪Day1のLVはもう申し込みが終わっていた)。

大阪公演や福岡公演までの間に、私はアニメを1期から見返すことにした。そうしてアニメを見返したり曲を聴いていたりしていると、これまでとは全く違う感覚が私の中に訪れた。

 

これまで、ラブライブの物語や歌の中に出てくる言葉は、現実世界とは程遠い、綺麗なフィクションの中のものでしかないように感ぜられていた。

それが、わが身のこととして、自分の心に急激に染みわたってきたのである。

 

梨子:今から0を100にするのは無理だと思う。でも、もしかしたら1にすることはできるかも。私も知りたいの。それができるか。

(『ラブライブ!サンシャイン‼』テレビアニメ第1期第8話)

ああ、研究に関して自分はこれまで、「0」だったんだと思った。それと同時に、これまで「0」だったということは、これからも「0」の状態を脱することができないということを意味しはしないのだ、ということも。だから自分が「0」だという事実を怖がらなくてもいいのだ、と。

 

進化したいからすぐできないこと ひとつひとつ 乗り越えて 雲の間に間に新しい 青空が待ってるよ 待ってるよ

(「未来の僕らは知ってるよ」、作詞:畑亜貴

「できなさ」と向き合って少しずつそれを乗り越えていった先に、私にとっての「青空」が待っているのかもしれないと思った。

勉強のペースが作ってこれなかったなら、集中して量がこなせない自分の特性を理解してそれに合った勉強法をつくり出せばいい(思えば昔大学受験のときはそういう勉強法をやっていたのだった)。頭の中で物事の整理ができないなら、パソコンのノートアプリのような外的なデバイスを使えばいい。発表とかのタスクの管理は…まあなんとかする。なんにせよ、ADHDという観点から自分の「できなさ」を理解してその「できなさ」を克服する自分なりのやり方を見つけていく。

そうすれば、私も「0」を「1」にできるのかもしれない、と。

 

君のこころは輝いてるかい? 胸に聞いたら “Yes!!” と答えるさ

(「君のこころは輝いてるかい?」、作詞:畑亜貴

私のこころは、どんな時に輝くのだろう?

自分は本を読んだりしながら考え事にふけるのが大好きで、それを職業にできたらと思って大学院に進んだのだった。そうやって考え事にふけっているとき、私のこころはキラキラと輝いていた。

 

信じてあげなよ自分だけのチカラ 君が君であろうとしてるチカラ

(「勇気はどこに?君の胸に!」、作詞:畑亜貴

そんなときそこには、自分は最強だ、という感覚がいつもあった。客観的に見てどうというのとはまた別だ。でも、そこには、これこそが私だ、という感覚が確かにあった。

そんなときの自分の「チカラ」を信じてみてもいいのかもしれないと思った。

 

千歌:うん、何も見えなかった。でもね、だから思った。続けなきゃって。私、まだ何も見えてないんだって。先にあるものが何なのか。このまま続けても0なのか、それとも1になるのか、10になるのか。ここでやめたら全部わからないままだって。

(『ラブライブ!サンシャイン‼』テレビアニメ第1期第8話)

それまでの私には、研究として突き詰めるべき「問い」のはっきりした形が見えていなかった。おそらく、勉強のペースが作れていなかったとか思考の整理ができていなかったとか、そういったことがその状態を帰結させていた。

でもそういったことを克服できたなら、もっとはっきりと見えてくるものがあるのではないか?

いや、見えてこないのかもしれない。でもそれも含めて、まだ何も見えていない。先にあるものが何なのか、このまま続けても0なのか、それとも1になるのか、10になるのか。何も見えていない。

「自分だけのチカラ」を信じて「できなさ」と戦った先に何が見えるのか。

私はそれを知りたいと思った。

 

 

不思議な感覚だった。

これまでフィクションの中のものとしか捉えていなかった言葉たちが、私の「イマ」に形を与え、方向を与えていったのである。

私は気がついた。

ラブライブ!サンシャイン‼とは、Aqoursの物語とは、私自身の物語だったのだ。

 


就活はしていた。内定をもらった会社も実はあった。でも就活の動機は無くなりつつあった。もともと就活は私にとって、「できない」から研究の道を諦める、というネガティブな行為でしかない。それは、自分の「できなさ」に、自分の「0」に屈する行為でしかなかった。

福岡公演までの間で、私はむしろそんな「0」と戦ってみたいと思うようになっていった。「0を1にしたい」と。研究者の道で、自分の「チカラ」をもう一度試してみたいと。

 

とはいえ就活をやめてもいいのか、内定を辞退してもいいのか、その踏ん切りはまだつかなかった。

研究者の道は険しい道だ。

思考を突き詰めていく道。その過程で絶えず自らの頭脳の限界と無知が突きつけられることになり、したがって常に一定の劣等感と戦い続けることになるであろう、そんな道。

社会的にはいわゆるポスドク問題がある。文系の研究者は就職先といえば大学教員が基本だが、その就職難は社会問題化している。

そういう道に自分を投げ込んでもいいのか。その勇気はまだ出なかった。

 

 

5. 3rdライブツアーファイナル

3rdライブツアーファイナル、福岡公演Day2。私はそれを映画館のスクリーン越しに見ていた。

 

スクリーンの中にいたのは、「千歌、跳んだぞー!」と叫ぶ伊波杏樹さんだった。「やりきった…」と呟く伊波杏樹さんだった。

 

伊波さんは、あの後、大阪公演、福岡公演の全てでバク転を綺麗に跳んで見せた。埼玉公演Day2、自分のパフォーマンスの不完全さを噛みしめつつ「もっともっとびっくりさせてやるからな!」と叫んだ彼女は、見事にそれを成し遂げたのだった。

アンコール後、3rdライブツアー最後となったMCで、彼女は自分が抱いていた心境を口にする。

「ほんの少しだけ、怖いって思っていました」

「だけれども」「みんながこうして、私たちを一生懸命大好きだ大好きだと支えてくれたことによって、跳べた!」

Aqoursはこれからも輝き続けます。輝きを追い求め続けます。それには、みんなが必要です」

恐怖や不安と泥臭く戦いそれを乗り越えた彼女だけが語れる言葉だった。

なんてかっこいいのだろう。なんて眩しいのだろう。

そしてもちろん、そうやって戦ってきたのは伊波さんだけではない。そこにいるAqoursの全員がそうだった。μ’sからラブライブ!の大きすぎる看板を引き継いで以来、Aqoursの全員が、自らの「0」と泥臭く戦いながらここまで大きくなってきたのだった。

私は強い憧れを覚えた。

 

高槻さんは言う。

「ずっと自分に自信がなかったりしたけど、自分の居場所はここだなって思いました!」

「毎日、生きてて、なんかしんどいこととか勇気が出ないこととかもあるだろうけど」「なんか、みんな、なんかね、すごい今輝いてます。みんなすごい輝いてるからね!わかってる?」

 

ああ、仲間なんだ、と思った。この人とたちと私は、苦しい現実に立ち向かいながら一緒に生きる仲間なんだ。いや、一緒に生きる仲間でありたい。単なるコンテンツの消費者でありたくない。私はこの人たちの前に胸を張って立ちたい。

 

私は考えた。

研究者の道を諦めたらほどほどに生きていけるのかもしれない。

でもそこに自分の「輝き」はあるだろうか。「自分だけのチカラ」を信じて自分の「できなさ」に、自分の「0」に立ち向かっていく道を選ばなかったなら、私はこの人たちの前に胸を張って立つことができるだろうか。

君のこころは輝いてるかい?」で心の底から「Yes!」と叫ぶことができるだろうか。「未来の僕らは知ってるよ」で心の底から「I live, I live Love Live! Days!」と叫ぶことができるだろうかーー。

  

 

MCが終わり、最後の曲「WONDERFUL STORIES」が始まった。

 

目まぐるしく変わっていく、モニターの中の千歌たちの衣装。

私は『ラブライブ!サンシャイン‼』の物語を想い、

今目の前で踊っている伊波さんたちAqoursの軌跡を想い、

3rdライブツアー期間中に経験した私自身の内面の変化を想った。

本当は 持ってたんだよ 僕たちは みんな持ってた 胸に 眠る輝き 目覚める前のチカラ

(「WONDERFUL STORIES」、作詞:畑亜貴

合唱に参加する私の声に、指をL字型にして手首を振る動きに、力がこもっていった。

答えはいつでも この胸にある 気がついて 光があるよ

(「WONDERFUL STORIES」、作詞:畑亜貴

涙が頬を伝って止まらなくなった。

そうだね!本当は!

(「WONDERFUL STORIES」、作詞:畑亜貴

声には嗚咽が交じった。

持ってたんだよ 僕たちは みんな持ってた 胸に 眠る輝き 目覚める前のチカラ

(「WONDERFUL STORIES」、作詞:畑亜貴 

 

もはや明らかだった。

自分の「輝き」がどこにあるのかを私は既に知っていた。

「輝くこと」を諦めたくない。私も、「輝きたい」。

私の進むべき方向は明らかだった。

 

 

福岡公演の後、私はもらっていた会社の内定を辞退し、研究の道で「0」を「1」にしていこうと決断した。

 

***

 

以上が、『ラブライブ!サンシャイン!!』と私の「出会い」の物語だ。

 

3rdライブツアー前、私は迷いの中にいた。私は自分の「できなさ」と向き合わなくてはと思い、研究者の道を諦めようとしていた。他方で、ADHDとしての自己理解を通じて自分にも可能性があるのかもしれないという思いも生まれ始めていた。

埼玉公演Day2の伊波さんは、私に、彼女の姿を最後まで見届けなくてはならないと思わせた。そうして3rdライブツアーを追いかける中で、伊波さん達Aqoursと千歌達Aqoursが、迷いの中を漂っていた私の「イマ」に形を与え、方向を与えていったのだった。

Aqoursは、見失いそうになっていた私の芯を思い出させてくれた。捨ててしまいそうになっていたそれを、やっぱり捨てたくないとAqoursは思わせてくれた。

こうして、『ラブライブ!サンシャイン‼』は私にとってかけがえのないものになった。

私の「イマ」を支えてくれるものになったのだ。

 

 

6. それからのこと

あれから1年が経った。その間、いろんなことがあった。

変えたくても変えられなかったことと、気がついたら変化していたことがあった。

 

変えたくても変えられなかったのは、大学院での研究生活だ。内定を辞退したあと、勉強のペースを作るためにどうすればいいのかいろいろと考えた。一時はリズムが確立し、成果が積み上がり始めたように思った。

でも結局そのリズムは少しのイレギュラーの介入で崩れてしまった。結果として私は修士論文を提出することができず、未だに修士の学生の身分であがいている。

私はまだ自分の「できなさ」を乗り越えていない。

 

他方で、この一年間で大きく変化したこともあった。

ラブライブへの想いや考察を綴った様々な方のブログを知り、自分と同じようにAqoursに勇気をもらいながら生きている人達がいることを知った。

そういう人達と想いを共有してみたいと思った。勇気を出して、ラブライブ用のツイッターアカウントとこのはてなブログを始めた。

ネットで知らない人と交流するのは初めてだった。でも少し緊張しながらやるそのやりとりには充実感があった。そこで知り合った人たちは、『ラブライブ!サンシャイン!!』との「出会い」が無ければ繋がることがなかったであろう人たちだ。住んでいる場所も仕事も年齢も生き方も様々で、そのまま生きていたら決して人生が交わることがなかったであろう人たちだ。

そんな人たちと想いや考えや体験を共有していく中で、私に見える世界はいつの間にか変わっていった。

以前私に見えていた世界は、自分が身を置いている大学の世界が中心で、その他の世界は漠然とした周縁部分でしかないような、そんな単純な遠近法的な世界だった。その遠近法が解体され始めた。全く違う場所で生きている様々な人たちが私の視野の中で存在感を持つようになった。

 

このように、変えられなかったことと気がついたら変化していたこととがあった。あれから私が過ごしたのはそんな一年間だ。

 

7. おわりにーーAqours 5thライブに向けて

実はここ最近、研究の道で「0」を「1」にしていこうと誓ったあの時の私の決断は、明確に揺らいでいる。

むしろ私は、違う世界で生きてみたいと思うようになってきている。

 

それとともに思う。あの時の決断は無意味なものだったのだろうか、と。誤りだったのだろうか、と。

結局最初に戻ってしまっただけではないか、と。

 

私はそれに対してどう答えたらいいのかまだわからずにいる。

 

2つだけ確かなことがある。それは、あの時抱いた「輝きたい」という想いは今も疑い得ないということ。

そして、あの時は「輝くことを諦める」というネガティブな意味しか帯びていなかった選択肢が、今はもっとポジティブなものに感ぜられているということ。

 

とはいえ、これ以上語ろうとするのは今はやめておこう。ここまでの語りがあまりにも長くなりすぎている。

ラブライブ!サンシャイン!!』と私の「出会い」を記すというこの記事の目的は果たした。あの時の「出会い」は確かにあった出来事だし、そこから繋がって私の「イマ」がある。そのことは確かめられたように思う。

 

 

何はともあれ、Aqours 5thライブがすぐそこまでやってきている。

 

ライブの中心となるのは劇場版の楽曲たちだ。

劇場版は、変化を肯定する物語である。千歌たちがこれまでの日々の持つ意味に気づき、胸を張ってあたらしい輝きへと手を伸ばせるようになるまでの物語である。

今週末、その物語がメットライフドームに現出することになる。

 

再び迷いの中に落ち込んだ私の「輝き」の在処はわからないけれど、まずは私は伊波さん達Aqoursの奏でる最高輝度のメロディを、全力で受け止めてみることにしよう。

サラサラ流れる風 僕らを誘ってるの 向かってみよう 立ち止まらない方がいいね

(「Brightest Melody」、作詞: 畑亜貴

 

そうすることで、一年前のように、私の「イマ」が形を得ることができると信じて。

 

 

 

 

 

 

 

おわり。

くそ長い自分語りにここまでお付き合いくださった方、ありがとうございました(_ _)