Aqoursはいつも雨の中を走ってきた。雨が降っていても日差しが注げば虹がかかるということを,彼女らは教えてくれた。
しかし日差しはどこからやってくるというのだろうか。
雨が降り続いている。もう半年もずっと。
9月5日から予定されていたAqoursのドームツアー。その全公演が中止になることが,8月21日,発表された。
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ツアーの日程と無観客有料生配信という公演形態が発表されたのは,テーマソングCD「Fantastic Departure!」発売の前日,7月21日のことだった。
4月にドームツアー開催が告知された時,私は,それは事態が収束した後の未来に行われるのだろうと思った。だからその未来を少しでも早く引き寄せるためにと,真面目に自粛生活をすることにした。だが収束のきざしはなかなか見えなかった。その未来は逃げ水のように遠のいていくように思えた。そんな中での,日程と公演形態の発表だった。
7月21日,その発表を見た私の目には自然と涙がこみ上げてきていた。
予定されていたであろう形とは大きく違う形。ファンの多くが予期していたであろう形とも大きく違う形だ。だがそれでもライブをやる。雨が過ぎ去ったいつかの未来にではなく,雨が降りしきる今,ライブをやる。彼女らは腹をくくったのだ。
無性に嬉しかった。Aqoursとともに走る日常が,Love Live! Daysが帰ってくるんだと思った。Aqoursとともになら、雨の中でも頑張れる気がした。
私は数ヶ月前に社会人になったばかりだ。忙しくなってきた仕事にもみくちゃにされる中で,仕事にほどほどに悩み,ほどほどに楽しさを感じながら,日々を過ごしている。
その数ヶ月の中で多少の心境の変化もあった。
人生に悩んでいた去年までの重苦しい気分がどこかにいき,Aqoursの曲を聴きながら毎日のように涙を流していたかつての自分はいなくなった。Aqoursのライブやイベントの相次ぐ中止を嘆くかたわら,ラブライブ以外の物事にもいろいろと興味が向くようになった。ラブライブに没頭すること以外にも,自分の中には大事にしたいものがあると感じるようになった。
つまり私は,Aqoursを以前のような仕方では必要としなくなった。
だがそれでも,Aqoursが動きを止めた3月以降の日々はどこか空っぽな日々だった。
Aqoursに会えなくとも今の私は日常をほどほどに楽しく過ごせてしまう。でもその日々には,表層を漂っているだけのような,ふわふわした感覚がつきまとっていた。奥底から心が震える瞬間が,その日々には決定的に欠けていたのだ。
私はやはり寂しかったのだろう。日程と公演形態の発表を見てこみ上げてきた涙は,私にそのことを教えた。
いったい何の違いがあるというのだろう。Aqoursがいようがいまいが,私は一人で自分の人生を生きていかなくてはならないというのに。
答えはシンプルである。
きっと,私は問いかけられたいのだ。
「君のこころは輝いてるかい?」と。
私にとってAqoursのライブは,単に音楽やダンスを楽しむだけの場ではない。
それは不思議な場だ。それは他者の物語と出会う場だ。他者に問いかけられる場だ。その問いかけを通じて私は自己と向き合い,その問いかけを通じて、私は自己の物語を知る。奇妙なことだが私は,彼女らとそういう風に出会ってしまったのだ。
Aqoursがいなくとも回る私の日常は,ふわふわとしていておぼつかない。
私はいつも心のどこかで,今の自分が過ごしている日々の意味を探している。でもそんなものは自分一人ではわからない。
私はAqoursの問いかけを欲していたのだろう。Aqoursと相対し、彼女らの問いかけに照らされ,再び自分一人の日常に戻っていく,そうやって回っていく日常を求めていたのだろう。
だから、Aqoursとともに走る日常が帰ってくるんだということが,あの日の私にはたまらなく嬉しかったのである。
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あの発表から一月後。ドームツアーは中止となった。
欲していた日常は再び逃げ水のように,いつになるかわからない未来へと遠のいてしまった。
ユニットツアー中止後の切り札であり,5周年プロジェクトの目玉であったはずのドームツアー。運営陣にとってもキャストにとってもスタッフにとっても,この上なく苦渋の決断だっただろう。
何に憤ればいいのだろう。何に憤れるわけでもない。雨が降り続いているという,ただそれだけのことなのだから。
それでも,中止の報はどうしようもなく私の心をえぐった。
明かりの無いトンネルの中をまだ長い間進まねばならない。雨に打ち克つことはできない。そんなことを思い知らされたように感じた。それはまるで,100に到達しない数字を見守っていた,あの時のような感覚だった。
受け入れるしかないのはわかっている。だがそう簡単に割り切れるものではない。
形を失った,不確かな日常がただ続いていく。この中で私たちは一体,何をよりどころにすればいいのだろう。
***
私たちにできるのは,Aqoursのいない日常の中で,一人で未来を信じていくことなのだろうか。
ドームツアーは完全に立ち消えになったというわけではない。公式からは「ドームツアーにつきましては、来年以降の開催に向け、引き続き検討を続けて参ります。」とアナウンスがされている。
私たちはその未来を信じておくしかないのだろうか。いつかやってくるであろう未来。しかしそれは,いつたどり着けるかわからない,逃げ水のような未来。
いや,もっと確かな仕方で信じられるものがあるかもしれないと,少し時が経った今になって思う。
キャストがそれぞれの仕方で想いを綴ってくれている。
ショックを,悲しみを綴ってくれている。
そして,諦めない想いを綴ってくれている。一緒に乗り越えよう,と。きっと乗り越えられる,と。
今,どこに向かって進んだらいいのかもわからなくなってしまってます。
〔……〕
だから、待っててください。
私も、いつか絶対に開催するって言ってくれたスタッフさん方の言葉を信じて今自分に出来ることを頑張ります。
〔……〕
今までもみんなと一緒に沢山色んなことを乗り越えて来たからね!ここからまたしっかり前を向いて頑張るよ!!
(逢田さんのインスタグラムより https://www.instagram.com/p/CEJZl2ujq_V/?igshid=u4l9oerayrc2)
みなさんも日々過ごしていて、悲しい事や辛い事があったり、もう嫌だなって心が折れそうになることもあると思うけど
私たちと一緒に、諦めずに前に進んで貰えたら嬉しいです。
〔……〕
Aqoursはどんな事があっても、負けずにみんなで力を合わせて今日までこれたからきっと大丈夫!!!!!!!!!!
(小宮さんのinstagramより https://www.instagram.com/p/CEJAFtrnswe/?igshid=1p4057blayhbu)
未来は不確かである。
だがそうだとしても,彼女らのこうした言葉そのものは,そしてそこに表れる想いそのものは,間違いなく確かなものなのではないか。確かな仕方で信じられるものなのではないか。
それは未来にではなく,今存在しているのだから。
ドームツアーが中止になり,私たちは再びAqoursのいない日常の中に投げ出されたようにも思える。でも,本当はそうではないのかもしれない。
言葉に乗せて伝えられた彼女らの想いがここにある。
そして私たちの内にもまた,それに呼応する想いがある。ライブを楽しみに耐えてきた日々と,中止の報によって砕かれた心と, 青空が広がる未来への希望がある。
こうした胸の想いを大切に噛みしめてみよう。
そうするなら,私たちは必ずしも,一人だということにはならないのではないか。なぜなら,間違いなく今,彼女らは同じ想いを胸に雨を耐え忍ぼうとしているのだ。この想いが,私たち同士を繋ぎ,私たちと彼女らを繋いでくれている。
だから,ここから始まるのもまた一つの,Aqoursとともに走る日常なのである。
そんなのは気休めだと,今の私たちはやはり一人でそれぞれの日常を過ごしていくしかないのだと言われれば,もちろんそうだ。これは現実に対する一つの捉え方の話でしかない。
だがその一方で,その捉え方に正しいも間違いも無い。ならば,不運な少女から偶然を運命へと捉え直すことを教えられたあの少女のように,“素敵”な捉え方の方を選んでみても悪くはないだろう。
いや,むしろ今の私たちにできることとは,まさにそういう捉え方を選んで日々を過ごしていくことなのではないだろうか。雨の中を私たちは一緒に走っていくのだ,と。
そう思えばほら,Aqoursが走る背後でいつも流れていていたあのメロディ,「起こそうキセキを!」のメロディが,なんだか聞こえてきはしまいか。そうだ。きっと,そうやって生まれていく日常の形も,あるはずなのだ。
***
いつだってここからだった 僕らの旅の始まり
(「Fantastic Departure!」より)
「Fantastic Departure!」の歌詞にある“ここ”とは,どこのことなのだろうか。
思い返してみよう。何度もあったAqoursの“始まり”が,どこを出発点にしていたかを。
「輝きたい!」
「やっぱり私,悔しいんだよ……」
「起こそう奇跡を!あがこう精一杯!」
「だから,だから!輝いて!」
ありのままの気持ちを大切にし,それと向き合うこと。Aqoursの出発点はいつもそこにあった。だからこそ,何度ゼロに戻っても彼女らは立ち上がれたのだ。
でも、何もないはずなのに、いつも心にともる光。この9人でしかできないことが、必ずあるって信じさせてくれる光。私たちAqoursは、そこから生まれたんだ!
(『ラブライブ!サンシャイン‼』1期第13話)
ならば今,私たちが出発するべきも“ここ”からなのだろう。
折れたこの心から。胸の内の悲しみと不安を噛みしめ,不確かな未来へと想いを馳せるところから。
そうして目を閉じれば,まさにそこにAqoursがいる。私たちは一人だが,しかし同時に,一人ではないのである。
そうやって,心に光をともそう。
私たちは雨に打ち克つことはできない。だが,雨に日差しが注げば虹がかかるということを,私たちは知っている。ではその日差しがやってくるのはどこからだろうか。それもまた,もう私たちは知っているはずだ。
さあ,雨の中をともに走ろう。失われた世界を抜けた先で,高らかに歌を歌うために。
そういう形の日常を,LoveLive! Daysを,私たちはここから始めるのだ。