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日記:歌舞伎「髪結新三」を観た

 

久々に歌舞伎に行った。たしか半年ぶりくらい。歌舞伎座の團菊祭五月大歌舞伎の夜の部。目当ての演目は「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」だ。

 

一演目目は「宮島のだんまり」。

悪七兵衛景清とか平清盛とかいろんな有名人が出てきてだんまりを演じる短い演目。数分遅れて行ったのもあってよく意味がわからなかった。なんでこんないろんな人たちが一同に会しているのだろうか。

最後は幕引き後に袈裟太郎とかいう人物(雀右衛門)がスッポンから現れて六方で花道を引っ込む。六方はいかにも歌舞伎を観に来たという感じがして嬉しかった。

 

二演目目は「達陀」。

東大寺二月堂の「お水取り」という行事に臨む僧集慶(松緑)のもとに、かつての恋人(梅枝)が現れる。この恋人は青い衣をまとっており、「青衣の女人」と呼ばれるが、スッポンから現れるので彼女はおそらく幻影。

青衣の女人が現れたり消えたりする中で、集慶の意識は彼女と恋をしていた過去へと引き戻されるのだが、それが舞台上で幻想的に表現される。舞台上に桜の木が映し出され、出家前の若き頃の集慶(左近)が登場し、青衣の女人とともに踊る。その踊りがとても美しかった。「二人椀久」を思い出した。

クライマックスでは、僧がたくさん登場し、松緑を中央にして足を踏み鳴らしながら群舞を踊る。赤い照明の中踊る姿が迫力強め。坊主版乃木坂46だあと思った。なお、全員格好が同じなのと舞台が暗めなのと僕が眼鏡を忘れたのとで、誰がどの役者なのか全然区別がつかなかった模様。

 

三演目目が「髪結新三」。

廻り髪結をしている小悪党新三(菊之助)が、白木屋という良いところの娘お熊(児太郎)をさらう話。菊之助の顔が整っているのですごくかっこいい。

この新三というのがかなり悪いやつというか、どう見ても反社会性パーソナリティ障害でやばい。

お熊と恋仲の素直な青年忠七に駆け落ちを勧め、駆け落ち後に自分の家にかくまってやると言ってお熊を連れ出させるのだが、お熊の連れ出しに成功すると新三は一気に手のひらを返して忠七とした約束を無かったことにする。キャンセルするとかじゃなくて、その約束の話をしている忠七の方が嘘をついて付きまとってきているということにしてしまう。ついでに忠七が買った傘も自分が買ったということにして持っていってしまう。ひどい。そして、家に連れていったお熊のことは、わめくのがうるさいからという理由で縛って戸棚に閉じ込めてしまう。ひどい。しかも新三はその自分の行動を当然のことのように他の人にベラベラ話す。隠さない。頭のネジが外れている。

後半では、新三の住む長屋の大家である長兵衛(権十郎)が登場し、新三を言い負かしてお熊を白木屋に返させる。この新三と長兵衛のやりとりが「髪結新三」最大のみどころだった。

長兵衛は表面上はやわらかい人柄のじいさんなのだが、こいつもだいぶ悪いやつで、たくらんでいるのは白木屋からのお礼をもらうこと。半端なく肝がすわっており、のらりくらりと喋りながら新三の弱みを鋭く突いていく。

……もっと書くつもりでいたのだが、疲れてきたのでやっぱやめにしよう。とにかく、長兵衛の強キャラ感がすごかった。あと長兵衛の奥さんのババア(萬次郎)もなんかすごかった。

前半は新三の悪者っぷりに圧倒され、後半は新三と大家のやりとりにたくさん笑わせられた。言い負かされてシュンとしてる新三がかわいかった。本当に楽しくて、見終わった後にはなんだか明るい気分になっている演目であった。

 

「髪結新三」は河竹黙阿弥作であるという。

黙阿弥と言えば「弁天娘」などの白浪物だが、今日初めて観た「髪結新三」にも、「弁天娘」などと共通する世話物の魅力がこれでもかというくらい詰め込まれていると感じた。

その魅力とは何だろう?もちろん悪党のヒールなかっこよさというのは大きいが、それとは別に今日観劇しながら思ったのは、自分も新三や長兵衛と同じくらい良心をかえりみずに生きられたら楽しいだろうなあということだ。

そう、黙阿弥の世話物には、正しく生きられない人間の弱さを肯定的あるいは喜劇的に描こうとする「おおらかさ」があるんじゃないかと思う。人間生きてりゃ何でもいいんだ、と。だから明るい気持ちになれるのだ。

 

前日にふと思い立ってチケットを取ったが、久々に観劇できて良かったと思う。良きGWだ。