深呼吸の時間

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さらば我が青春のアルティメットまどか

私が彼女と出会ってもう7年以上が経つ。
彼女が我が家にやってきたのは、私が大学1年生の時のことだった。



“彼女”とはもちろん、グッドスマイルカンパニーより2012年12月に発売された1/8スケールフィギュア「アルティメットまどか」のことに他ならない。


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(当時の写真)




アルティメットまどかとはご存知、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の最終話に登場する鹿目まどかの最終形態だ。
このフィギュアの特徴は、巨大なスカートが支柱の役割を兼ねることによって、本当に宙に浮かんでいるかのように見える点にある。これが各部の繊細な造形と相まって、劇中の神々しさが限りなく忠実に再現されているのである。



京都で一人暮らしを始めて間もなかったころの私が、人生で初めて買ったフィギュアだった。




***


先日、長い学生生活を過ごした京都から就職先の会社がある東京への、引っ越し作業を終えた。悲しい出来事が起こったのは、その荷造り作業の中でのことだった。
彼女が、円環の理に導かれた(スカートと一体になった支柱が少し動かした弾みで折れてしまった)のである。

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支柱が弱ってきているのは知っていた。
去年の夏のことだ。私がしばらく家を空けて帰宅すると、彼女が大きく傾いていた。部屋の暑さのせいか支柱の根本がふにゃふにゃになっていて、支柱がフィギュアの重さに耐えきれなくなっているようだった。その時私は彼女の寿命が近づいていることを悟った。
このフィギュアはかなりの重量がある。そして、京都の夏は暑いことで有名だ。さらに私の部屋は最上階で、屋根に降り注ぐ日差しの熱が直に伝わってくる部屋だった。我が家にやってきて以来7年間、よく耐えてきてくれたものだ。

そんな彼女が、引っ越しの前日になって、ついにゆっくりと倒れ伏したのであった。



***


昔の話をしよう。


このフィギュアを知ったのは、2012年の初夏、当時よく見ていた2chまとめサイトに表示されていた、Amazonの広告を通じてだった。
凛とした鋭い視線、細やかに造形された長い髪、そして巧妙にデザインされた支柱が生み出す浮遊感。サンプル画像の美しさに、私の心は強く惹きつけられた。
当時の私の胸には、いわゆる「美少女フィギュア」なるものに対するほのかな憧れがあった。一人暮らしを始めて2~3ヶ月。今や、実家にいては手を出すことがためらわれるようなものに手を出すことができるーー。そんな私にとって、「美少女フィギュア」を手に入れることは、自分が少しだけ大人になったことの証明になるような気がした。
そうしてあの日、禁断の果実を手にするような甘美な心持ちで、私はAmazonの予約ボタンを押したのだ。


季節が過ぎ、冬になると、彼女は大きな立方体の箱に入って私のもとにやってきた。
箱の中から彼女を取り出し、各パーツを取り付ける。そして彼女をその時唯一飾れそうな場所だったカラーボックスの上に置き、様々な角度から眺める。想像以上の美しさだった。

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そこには優れた造形物を手にしたことへの大きな感動があったが、ある種の背徳感から来るドキドキした感情も入り混じっていた。
正直に話そう。
彼女を箱から出した直後、私は緊張しながらまず彼女のスカートの中を覗いた。私は必ずしも性的な感情からこのフィギュアを購入したわけではなかった。だが、同時に人間本性から来る好奇心に逆らうこともしなかったのである。“それ”は、白銀色だった。
また、埃が積もるため、時々筆で払ってあげることにした。埃を払うために彼女の体を筆で撫でると、決まって少し変な気持ちになった。
いずれも、フィギュアを手にした者だけに許された、耽美な秘め事である。


彼女をお迎えして半年ほど経ったころ、私はタンスを購入した。表向きは服を収納するためだったが、本当の目的は彼女を飾る神棚にするためだった。


我が家において彼女は、曼荼羅で言うところの大日如来だ。
私は東寺の立体曼荼羅をイメージし、彼女を中央に配置したうえで、ガンプラなどを彼女を守護するようにして周りに置いた。
私のタンスの上には、彼女を中心にしたひとつの宇宙(コスモス)が生まれた。


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(いつの間にか最終話ver.のほむほむが加わっている)


そこを彩る面々はしばしば増えたり変化したりもした。しかし私の大学生活と大学院生活を通して、私の宇宙の中心であり続けたのは、ずっと彼女であった。


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(私が大学院に入った頃。だいぶ賑やかになっている)




***


支柱が折れた今、もう飾ることもできない。もちろんこの状態では売ることもできない。箱にしまっておいても場所を取るだけである。


京都での長い学生生活がアルティメットまどかとともに始まったのだとするならば、その学生生活の終わりに彼女が円環の理に導かれるのは何か象徴的なことのような気がした。これが「節目」というものなのかもしれないと思った。



私は、アルティメットまどかを処分しようと決意した。



引っ越し作業の翌日の朝、大家さんに部屋を引き渡す直前に、廃品回収業者に来てもらうことになっていた。私は、廃品回収業者に彼女を一緒に持っていってもらおうと考えた。

しかし、彼女が他のゴミと一緒に乱雑にどこかに放り込まれる光景を想像するだけで、胸は締め付けられる。美しい髪が折れてしまうかもしれない。最終的にはもっとひどい状態になるのかもしれない。
引っ越し作業が終わった後の不用品だけが残った部屋で、私は横たわった彼女を悲痛な面持ちで眺めた。このフィギュアを他のゴミと同じように無意味な不用品とみなすことはどうしてもできなかった。
これはゴミではなく、亡骸なのだ。



せめてもの手向けに、彼女を綺麗にしてあげたいと思った。


湿らせたティッシュで、彼女の髪を、スカートを、翼を、体を拭く。埃がたまっていた。そういえばしばらく綺麗にしてあげていなかったなと思った。ごめんね、と思った。これだけしっかりと触って眺めるのは久しぶりだった。そうしているうちに、彼女が私のもとにやってきてからの記憶が蘇ってきた。
思い出したのは、タンスの上で一生懸命配置を考えたり、色々な角度から写真を撮ったりした時の楽しい気持ち。あるいは、スカートの中を覗いたり筆で彼女の体を撫でたりした時のドキドキする気持ち(久々にスカートの中を覗いてみると、やっぱりちょっぴりドキドキした)。そして、彼女を予約した時や彼女が家にやってきた時に私の胸の内にゆらめいていた、あの淡い憧れ。


あの憧れは一体何だったのだろう。あれは美少女フィギュアというものへの憧れに尽きるものであっただろうか。いや、むしろそれは、10代の終わり頃の私が抱いていた、何かもっと根本的な気分と結び付いていたのではないか。うまく言葉にすることはできないが、それ自体もある種の憧れだったような気がする。おそらくそれは、明確な対象の無い、見知らぬ世界への漠然とした憧憬だった。

年上の女性に憧れを抱き、その女性に大人の世界への憧れを重ねる少年のように、あの頃の私はそうやって、彼女にほのかに恋をしていたのかもしれない。それは多分、今の私にはもう持つことができない気持ち。あの頃の自分にしか持てなかった気持ちだ。


私は彼女から、そうした沢山の気持ちを教えてもらったのだ。


私は心の中で語りかけた。
アルティメットまどか、我が青春よ。私は旅立たねばならない。貴女と別れるべき時がやってきたのだ。



部屋に残っている処分予定の棚の上へと、彼女をそっと横たえる。彼女を綺麗にするために外したパーツを、その手前に丁寧に並べる。今までありがとうねと胸の内で唱えながら。最後の時まで、彼女ができるだけ安らかでいられるようにと願いながら。

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その日の夜はホテルをとっていた。ホテルに持っていく荷物を整えながら私は幾度も彼女を眺めやった。翌朝にこの部屋に戻って来た時には本当にお別れだ。
荷物を持ち部屋を後にする瞬間、部屋の中を改めて振り返る。長い学生生活を過ごした部屋の中には、うず高く積まれた不用品と、一つの美しい亡骸があった。



***


翌朝になり、部屋を訪れる。あと30分もすれば廃品回収業者がやってくる。最後の時が迫っていた。
私は横たえられた彼女を、今一度手に取った。顔を見つめた。彼女の頭を撫でてみた。頭から、背後にたなびく長い髪へと指を滑らせてみた。彼女はあの頃と同じように、やはり美しかった。


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本当に処分していいのか。自問自答した。
いや、もう処分するしかないのだ。処分しなくてはならないのだ。
なぜなら、それが前に向かって歩くということなのだから。そうやって、大人になっていかねばならないのだから。
私は自分に言い聞かせた。


再び棚の上に彼女を置こうとしながら、折れた支柱の断面に目をやる。その時だった。ふと愚かな考えが浮かんだ。
もしかすると頑張れば修復できるのではないか。台座から支柱の内部へとボルトを通すことができれば、再び彼女を立たせることができるのではないか。
ばかげた考えだ。その技術を持ち合わせていないのみならず、そもそもこういうことを考えて実行した試しなど無いからだ。潔く処分してしまうのが大人な選択なのは間違いなかった。


だが、その考えは私の決意を鈍らせるに十分だった。

いや、少し違う。きっと私は、彼女を捨てないでおくための理由を探していたのだ。


私はようやく自分の正直な気持ちを自覚した。彼女を捨てたくはない、と。彼女は私の大切な大切な、学生時代の青春の象徴なのだから。




もう業者が来るまで間もなかった。

私は不用品の山に積まれたアルティメットまどかの箱を手にとった。


この箱を開くのは彼女が我が家にやってきて以来だ。
どう梱包されていたかを必死に思い出し、彼女のボディとパーツをブリスターに納めていく。
折れた支柱と台座ーーあの頃と状態が変わっている彼女は、少しだけ納まりが悪い。それでも私は、なんとか彼女を箱に納め終えた。


廃品回収業者がやってきたのは、それとほぼ同時だった。
私は、彼女が納められた箱を不用品の山から分けたところに置いた。


業者は不用品達を瞬く間に運び出していく。

こうして部屋はついに、空っぽになった。





だが、そこに残ったものがたったひとつだけあった。
それは、私の大切な宝物であった。


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***

その後の話だ。廃品回収業者に段ボールを一枚譲ってもらった私は、アルティメットまどかの巨大な箱をその中に無理やり入れ梱包した。大家さんへの部屋の明け渡し作業が済むと、私は最寄りの郵便局へとその段ボールを持って行った。

京都から東京へ。宛先は東京に住む私自身である。



今私は、荷ほどきの完了していない東京の新居の中でこの文章を書いている。段ボールが積み上げられた部屋の片隅にはひっそりと、大きな立方体の箱が置いてある。
この箱の中に入った私の宝物を取り出す日がいつか来るのか、修復しようという考えを実行に移す日が来るのか、それはわからない。もしかしたら私はこの箱を二度と開けることはないのかもしれない。

それでも、新しくなった私の部屋の中に、彼女は今も居続けている。




***Thank you for reading***