深呼吸の時間

ラブライブとか,読書とか

このブログの用途と最近の心境の変化について

 
 
 ここ最近,このブログの用途を少し見直したいと考えている。
 主にラブライブに関連したオタク語りをするために始めたブログだ。だが今後は,それとは関係の無い,読書記録のような記事を書く場所としてもこのブログを使いたいと思っている。
 改めて宣言するまでもない話ではあるが,こう思った背景には,ここ1年ほどの時間をかけての,ゆっくりとした心境の変化がある。自分の気持ちの節目として,少し書き留めておきたい。


* * *


 このブログを作ったのは,2018年のAqours4thライブ直前のことだ。
 それ以来私は月1程度のペースで記事を投稿し,他のブロガーとも交流するようになり,2019年の秋から冬にかけてはラブライブログアワード2019の開催に一枚噛ませてもらいもした。そうした時間は,本当にかけがえのない時間だった。


 私はその後,修士論文をなんとか提出し,東京の会社に就職した。それから1年間で,私の中にはゆっくりと心境の変化が起こっていった。それは大きく2つの方向性からなっている。


 1つは,ラブライブとの間に気持ちの距離が生まれていったということである。

 好きではなくなったというわけではない。だが,ラブライブに触れても,以前と同じようには魂が震えなくなった。ここ1年間のこのブログの更新頻度が2月に1回程度のペースに落ちてしまったのも,それが関係している。ここのところ私は,ラブライブについての語りに自分の魂を上手に乗せられなくなっていた。

 なぜだろうか。当然,コロナ禍でラブライブ関係のイベントが軒並み中止になったことも大きい。しかしそれよりももっと本質的なこととして,きっと,私の中でラブライブが一つの役目を終えたのだと思う。ラブライブの物語は,大学院生活の中でもがく自分を支えてくれていたものだった。その頃は,ラブライブの物語がそのまま自分自身の物語でもあるような,そんな不思議な感覚があった。しかし大学院を修了し社会人になった私は,自分をその物語にうまく重ね合わせられなくなっていった。私の日常は,ラブライブの物語の外に出てしまったのである。

 ラブライブとの間に気持ちの距離ができている。ずっとその自覚はあった。だが認めるのが怖かった。認めると自分の拠り所がなくなってしまうような気がしたからだ。あの頃のような熱の中に戻りたくて,でも戻れない自分にずっと寂しさを覚えていた。


 もう一方の心境の変化は,自分の中の知性のようなものを大事にしていきたいと思うようになったことである。

 私は大学と大学院で哲学を専攻した。はじめは「哲学」の二文字に強い憧れを抱いていた。しかし様々な出来事を経て,私は哲学のことが嫌いになっていた。いや,正確に言うなら,私が嫌いになったのは,哲学的であることを何か尊いことであるかのように思い込んでいた,自分自身であったかもしれない。修士論文を書いていたころ,私はそんな自分を脱ぎ捨てたくて脱ぎ捨てたくてたまらなかった。哲学の世界から抜け出したくて抜け出したくてたまらなかった。

 けれど,自分のルーツはどうしようもなくその世界にある。大学院を出てからの1年間で,そう感じる機会が度々あった。哲学に憧れ,哲学の空気の中にいたからこそ形作られてきた自分がある。私は哲学徒としては何もまともに修めることのできなかった落ちこぼれでしかない。しかしそれでも,そこで自分の体に刻まれた,ものの考え方というものが確かにある。この1年間は,そんなことを折々に触れて感じた一年間だった。そしてまた,そんな私を認め,素敵だと言ってくれる良き友人もいる。だから私は,こういう自分をもっと大切にして生きていきたいと思うようになったのだ。


 私は今,次のことを明確に受け入れてみようと思う。時が経ったのだということ,ラブライブに支えられてもがいたあの頃がもう過去になったのだということを。それがきっと,自分を前に進めるための最初のステップなのだ。
 今の私の気持ちの軸は,自分の中の知性をしっかりと育てていきたいというところにある。


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 以上のような心境の変化に合わせて,私は,オタク語りのための場所であったこのブログの使い方を,少しだけ変えてみようと考えた。冒頭で触れた読書記録の話はここに結び付く。それは,自分の知性を耕していくための一つの手段である。
 冊数は全く多く読めない質の人間なのだが,私は本を読みながら物事を考えるのが好きである。しかし,読みっぱなしでは本の内容も考えたことも全て流れ去ってしまう。大切なのは何らかのまとまった形でアウトプットすることだ。感想といったほどのものになるか,あるいはもう少しシャープな書評のようなものになるか,それは未定である。だがいずれにせよ,私はこのブログを読書経験をアウトプットしていく場所とすることで,流れ去らない形で自分の思考をストックしていきたいと考えている。
※具体的にどのような関心に基づいた読書経験をストックしていくつもりなのかは,この記事の直後に上げる記事で別途語るつもりだ(追記:「ケア」への関心と「シリーズ ケアをひらく」の話 - 深呼吸の時間)。



 なお,ここでしている話はあくまで,このブログを,今の自分をより十全に反映したものにしたいという話にすぎない。ラブライブの記事を書きたくなった時にはきっとまた書くことだろう。距離感が以前とは変わったというだけの話で,ラブライブが好きな気持ちが消えたわけでは決してない。私は自分に心地よい距離感で,これからもラブライブをずっと楽しんでいくつもりである。ただし,これまでは,このブログにラブライブのオタク語りの場所という意味を与えていたことが,別の使い方をしようとする上での躊躇いの要因になっていた。だから,心境の変化を自分で認めて前に進みたいと思うようになった私は,このブログに与える意味を,少しだけ変えることにしたのだ。 

 ちなみにそれに伴ってブログ名も変えることにした。これまではμ’sの曲「MOMENT RING」をもじった名前だったが,新しいブログ名は「深呼吸の時間」というものだ。
 たまたま家にあった長田弘の『深呼吸の必要』という詩集から着想を得てはいるのだが,そこまで深い意味は無い。ただ,ラブライブに関する文章にせよ,違うものに関する文章にせよ,こうしてプライベートで文章を書く行為が自分にとって何なのかを考えた時,それは精神の深呼吸のようなものだと思ったのである(精神の排便💩だという説も根強かったのだが汚いので却下された)。 
 


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 不思議なのは,こうして気持ちの変化を言葉にして今の自分を受け入れると,ラブライブの楽曲が途端に生き生きと耳に入ってくるようになるということだ。ラブライブはきっと,今の気持ちに素直になった時に心に届くものなのだろう。

 実は今,私の中の“ハートの磁石”が漠然と指し示している方向がある。私には向かいたい場所がある。ここに書いてきたことは全て,その方向に自分の舵を切るための準備でもある。

 ラブライブにとらわれることなく,輝きたい気持ちに従って生きること。逆説的だが,それもまた,“ラブライブデイズ”の一つのカタチなのかもしれない。私は今,そんなふうに思っている。
 
 


***Thank you for reading***